涅槃図は2月の決まった時期に拝観できるようです。
寺域は広大で伽藍は重厚、雰囲気は厳粛。
あまたの赤松や杉、モミの大木が趣を添えている。
ゴチャゴチャ言わず☆五つを謹呈。
大泉山補陀寺様。
曹洞宗。
歴史ある大きなお寺。
駐車場あり。
書き置きが用意されていましたので、ウクライナ難民支援禅語御朱印ほか拝受いたしました。
令和6年5月11日訪問。
戦国時代末期、豊臣秀吉が小田原北条氏を攻撃する際、東海道から攻め上り小田原城を攻撃する秀吉の直率部隊の別働隊として、北方より前田利家や真田昌幸が大軍を率いて攻め込んできてた際にこの方面の防御責任者であったた大道寺政繁がここ補陀寺に居宅を置き、碓氷峠や松井田城に籠り防戦しました。
最後は秀吉により切腹させられて、川越の常楽寺とここに葬られました。
涅槃図は2月の決まった時期に拝観できるようです。
猫のいる珍しい涅槃図だそうです。
見てみたいです。
紅葉が綺麗なお寺です!
歴史あるお寺さんです!御朱印 松井田城の御城印が拝受できます。
北条家の重臣、大道寺政繁の墓があります。
紅葉も綺麗なお寺です。
巡礼の地として訪ねさせていただきました👣広い境内にご本堂をはじめ観音堂、鐘楼などがあり🙏特に山門から山道にかけて、深い趣を感じます🙇♀️
補陀寺は、室町時代初期の応永年間(1394~1428年)に無極慧徹(むきょくけいてつ)禅師を開山として創建されたとされる曹洞宗の寺院です。
当初は小さな草庵程でしたが、その庵が兵火により焼失した事を切っ掛けとして無極慧徹禅師の弟子であった月江正文(げっこうしょうぶん)和尚が再興し、大泉山補陀寺と号し第二世住職として境内地が整備されることとなりました。
当地の歴代の領主である安中氏、武田氏から庇護され、戦国時代後期の天正10(1582)年からは小田原北条氏の重臣である大道寺駿河守政繁(だいどうじするがのかみまさしげ)が領主になると補陀寺を自らの居館とするとともに菩提寺としました。
県道33号から入った左側に駐車場があります。
実家の菩提寺です。
ご先祖さまがこの土地に見切りをつけ軽井沢に行き開拓し現在に至ります。
ご先祖有難うございます。
良い夢見れました。
群馬県でも格式ある寺院です。
いつも綺麗なお花をみられます。
ご僧侶のお母様がお花の好きな方です石原裕次郎さんが眠る総持寺が本山のひとつです可愛いワンちゃんと猫ちゃんのいすがあります。
松井田城跡の一部。
大道寺氏の墓がある。
名前 |
補陀寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-393-0107 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
周辺のオススメ
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戦国武将、大道寺政繁の墓所がある。
政繁は松井田・川越城主を務めたが、豊臣秀吉による小田原攻めの際に降伏、後に川越において自刃させられた。
案内板によると政繁の死後、家臣らが川越から首を盗み、この場所に埋葬したそうである。