周囲を回ることしかできず物足りないと感じます。
中には入れず、周囲を回ることしかできず物足りないと感じます。
宮内庁の管理で規模も大きいので重要な古墳だと感じることができますが、何かしらの説明が書かれている看板等があれば親切だと思います。
確定していないから、表示できないのかもしれないですね。
新木山古墳(にきやまこふん)。
墳丘長200mの前方後円墳、築造時期は5世紀前半と推定。
巣山古墳とともに馬見古墳群で中核をなす大型前方後円墳。
後円部西側には、三吉石塚古墳が造られている。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「三吉陵墓参考地」(被葬候補者:第30代敏達天皇皇子押坂彦人大兄皇子舒明天皇御父)として陵墓参考地に治定されている。
(ウィキペディアより)
「にきやまこふん」と読む。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「三吉陵墓参考地」(被葬候補者:第30代敏達天皇皇子押坂彦人大兄皇子舒明天皇御父)として陵墓参考地に治定されている。
宮内庁が三吉陵墓参考地として管理しているため、一般市民は立入ることは出来ない。
南北走向の低位丘陵から東へ派生する小支丘を利用して築造されている。
墳丘の主軸はおおむね東西にあり、両くびれ部に造り出しが存在する。
その形態は巣山古墳のものに似ている。
濠の幅は後円部で18メートル、前方部で22メートルほどである。
外堤は水田、畑の畦畔として残っており、幅約20メートル前後、高さは3メートル以上あったと考えられる。
採集された方形透かしと有黒斑の円筒埴輪から、5世紀前半の築造と考えられる。
馬見古墳群中央群では最後の大型前方後円墳である。
墳丘長200mは全国で33番目の巨大古墳。
三吉陵墓参考地として宮内庁が管理してますので、立ち入り禁止です。
外観のみの見学です。
被葬者は敏達天皇の皇子で、舒明天皇の父親にあたり、天智、天武天皇からみると祖父にあたる、押坂彦人大兄皇子?とされていますが、今となっては知る由もありません。
名前 |
新木山古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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2019.12.25訪問 後円部西側には、主軸を同じくする三吉石塚古墳(県指定史跡)が、外提に接して造られている様です。
陵墓参考地。
全長約200mの前方後円墳。
後円部径約117m・高さ約19m、前方部幅約118m・高さ約17m、葺石・埴輪を備える。
周囲には濠と堤がめぐる。
埋葬施設の詳細は不明だが、副葬品とされる勾玉や管玉、棗玉が宮内庁に保管されている。
5世紀前半の築造です。