この像の意味はわからないでしょう。
もっと海の見える場所に立ててあげればって思ってしまいます。
微妙な場所にあります。
港の見える丘公園にある愛の親子像。
昭和52(1977)年9月27日、横浜市緑区荏田町(現青葉区荏田北)に米軍機が墜落し、市民3人(母と幼い子二人)が亡くなりました。
生前に海が見たいと願っていたことから、この公園に愛の母子像の寄付を受け設置したものとの事です。
米軍が日本にあることの意義を考える機会になると思います。
私自身は、特に反対するわけではありませんが、こういうことが起こってしまったことをみなさんが知る必要はあると思います。
米軍機墜落による犠牲者を悼む像。
海がよく見える場所に設置されており、周囲には花も咲いている。
テレビで、この像の建てられた時の事を、思い出しました。
米軍の、飛行機が、墜落したため若いお母さんと、幼い子ども二人が亡くなりました。
すぐ近くにあるのに、行ってないので、近いうちに是非いきます。
昭和52年の横浜米軍墜落事故に巻き込まれた母子を追悼する記念像。
1977年米軍機が墜ちて親子3人が亡くなって。
こういう悲劇を忘れてはなりません。
😢-------------------愛の母子像昭和52(1977)年9月27日、横浜市緑区荏田町(現青葉区荏田北)に米軍機が墜落し、市民3人(母と幼い子ニ人)が亡くなりました。
生前に海が見たいと願っていたことから、この公園に愛の母子像の寄付を受け設置したものです。
私が生まれる前の話だが、米軍機が横浜に墜落。
そんなことがあったのか…。
今では想像もつかないことです。
事故は記憶にあったが、このことは知らなかった。
合掌「我が子に会いたい一心で懸命にリハビリに励む母親に2人の子供は事故翌日に死亡したことは伝えられず、真実を知らされたのは事故から1年3か月後であった」
米軍機墜落事故で亡くなった母と2人の子供の慰霊碑です。
ベイブリッジ方向を見つめています。
恐らく初めてこの地を訪れてこの像の説明書を読んでも、この像の意味はわからないでしょう。
わからなくてもいいんです。
なぜならこの像は、訪れたあなたに私達たちのことを知ってほしいと問いかけているのだから?この像の由来を知って下さい。
スフィンクスを知っていますよね。
すると、あなたは、横浜のこと、ひいてはもっと日本のことがわかるようになるでしょう。
印象的な像!!
母子像の周りには「プラタナス」の大木があり横浜の日差しを遮る憩いの場所になっています。
港の見える丘公園内に1985年に設置。
山下公園内の赤い靴と同じ山本正道作。
1977年にアメリカ軍の厚木基地を米軍機が横浜市青葉区の住宅地に墜落して母と2人の子が犠牲となった遺族からの寄贈。
碑文の方は2006年に設置された。
寄り添う母子の像に、千羽鶴がよく掛けられているなと思っていました。
傍らの碑文をあらためて拝見したら、犠牲となった母子三人の悲しい記憶の像でした。
この世界を愛おしむような眼差しです。
フランス山地区にあります。
名前 |
愛の母子像 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
045-671-3648 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.9 |
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戦闘機やミサイルなんかいらない、戦争のない世の中に早くなると良いですね。
「昭和52(1977)年9月27日、横浜市緑区 荏田町(現青葉区荏田北)に米軍機が墜落し、市民3人(母と幼い子二人)が亡くなりました。
生前に海が見たいと願っていたことから、この公園に愛の母子像の寄付を受け設置したものです。
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