名前 |
十社神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.4 |
具体的な創建時期は不詳となるが、『太平記』によれば、足利基氏(あしかがもとうじ)の家臣となる岩松治部大輔は、基氏の鎧を身につけ、主君の身代わりとして合戦(苦林野で戦い)に参戦したという。
そして、芳賀軍の岡本信濃守が岩松治部大輔に斬りかかってきたところ、岩松の家臣である金井新左衛門がそこに立ち塞がり、馬から落ちざまに岡本と差し違え、討ち死にしたという。
当社はそんな主君の身代わりとなって戦死した武将が、金井新左衛門をはじめ、計10名祀られており、このため、古くは十首明神とも呼ばれたという。
そして、明治40年には村内の愛宕社(火之迦具土神)をはじめ、神明神社(天照大神)、大正3年には、諏訪神社(建御名方命)、鹿島神社(武甕槌神)他、葺草葺不合尊(うがやふきあえず)などを多くの神社を合祀している。