名前 |
八幡神社(遠山) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
2.8 |
遠山八幡神社(とおやまはちまんじんじゃ)御祭神 誉田別命境内社として 大黒天石碑 聖徳太子石碑由緒遠山村 八幡社 村の鎮守たり 遠山寺持(「新編武蔵風土記稿」参照)遠山の地形は山間の盆地です。
地名は、他地域との交通が不便で、周囲から隔たった遠い山中の意に由来しています。
当地の南西方、槻川を隔てた丘陵上には、戦国期、小田原北条氏の家臣遠山右衛門太夫光景の居城と伝える小倉城跡があります。
当地も同氏の所領でした。
当神社はこの遠山氏にかかわる社と考えられ、隣接する曹洞宗遠山寺は、天正八年(1580)に光景が父政景の追福のために中興開基したと伝えられています。
当神社もこの頃には既に祀られていたものと思われます。
ちなみに北条氏滅亡後、遠山氏の子孫は、山下を名乗ってこの地に土着したと伝わっています。
「風土記稿」には「八幡社村の鎮守なり 遠山寺持」と記されています。
最も古い史料としては「八幡宮増成就・宝永六年(1709)十二月廿日・武州比企郡遠山村」と刻む石碑が残されていて、この年に参道石段を築いたことが判ります。
神仏分離によって遠山寺の管理下から離れ、明治四年(1871)に村社となりました。
平成二年(1990)に、念顕であった社殿の再建が行われました。
(「埼玉の神社」参照)八幡神社から南に下り、槻川に下りると名勝「遠山甌穴」があります。
川の中の岩の窪みにはまった石がその場で回転して出来た穴で、人が入れるほどの大きさがある穴が川原に下りてすぐ見られます。
江戸時代中期の村絵図にも記載があり、その当時から観光地として知られていたようです。