ナンバーワンの説明力でした。
川西町は古墳の説明が親切ですねぇ…今まで散策した古墳で、ナンバーワンの説明力でした。
古墳東側、西側に案内板が多数。
多数すぎて、案内板の位置が低すぎて、多少ダレてしまいましたが…。
しかし、川西町の力の入れようがよくわかリます。
魅力的な出土物、いったい、何人埋葬されているのか?など不思議な古墳です。
出土品も素晴らしいです。
古墳の説明は他の方々がされているので…(この時点で文字数多いし)百聞は一見にしかず…詳細は現地で確認して頂くのが一番かなと思います。
なんせ痒いところに手が届くぐらい、素晴らしい案内板ですから(本当に素晴らしいです)。
こちらの古墳から西へ400メートルぐらいにある川西町ふれあいセンターに、島の山古墳から、出土したと思われている石棺石が野ざらし展示されています。
そちらにもどうぞ。
比売久波神社(ひめくわじんじゃ)のお隣にあります。
神社側から見ると前方後円墳の形がよく見えます。
神社の北側の駐車場に車を停めて周濠を歩きました。
説明板などがあります。
この古墳の被葬者を推定する場合、次の3点が重要なポイントになると思います。
1 古墳の大きさが皇族又は有力豪族クラス👁2 古墳の平面図が宝来山古墳と同じ相似形👁3 被葬者は祭祀に関わった女性👁木棺及びその周辺からは、祭祀用と見られる碧玉製の装飾品が多数出土しています。
日本書紀には、崇神天皇が娘の豊鍬入姫(とよすきいりひめ)に、笠縫の邑に天照大御神を祀らせたとあります。
彼女は垂仁天皇の腹違いの妹にあたる人です。
笠縫の邑の所在地に関しては、田原本町(大字二木)がその一つの候補地として挙げられますが、ここから6キロほど離れた所にあります。
また、この古墳と相似形である宝来山古墳は現在垂仁天皇陵に治定されています。
同じ相似形の古墳同士は築造時期が近いと考えられています。
宝来山古墳の被葬者が垂仁天皇で、笠縫の邑が田原本町辺りにあったと仮定すると、古墳の被葬者の有力候補として豊鍬入姫を推定できますが・・・ 真偽のほどはいかに?🤔🤔 これは歴史学者の安本美典の説です。
また、他の有力な説としては、田中卓の説で、応神天皇の妃の糸井比売とその父親の嶋垂根(しまのたりね)の二人を被葬者としています😓😓因みに、ここから徒歩10分強ほどの処に式内社である糸井神社があります。
神社名から主祭神は糸井比売かと思いきや、豊鍬入姫でしたね✌️✌️
◽アクセス・近鉄田原本線/但馬駅:徒歩30分・近鉄橿原線/結崎駅:徒歩25分◽「紐付き古墳」や「シールド古墳」によくある外観のみの、立ち入り出来ない古墳です。
◽古墳データ①墳丘:前方後円墳 (全長195m)・三段築成・後円部径 (105m /高15m )・前方部幅 (103m /高10m )・周濠 (幅40~50m)・造り出し (痕跡) 葺石 埴輪②築造:4世紀末~5世紀初③埋葬施設:後円部 (竪穴式石室)u003eu003e前方部 (粘土槨)④出土遺物・前方部:車輪石 鍬形石 石釧・後円部:碧玉製管玉 金製垂飾付金環u003eu003e銅心金張金環 車輪石 勾玉 管玉◽三宅町古墳散策コース (約6.0km)⏩近鉄田原本線 / 但馬駅 (起点)①瓢箪山古墳 ②アンノ山古墳③高山古墳 ④茄子塚古墳⑤寺の前古墳 ⑥島の山古墳⑦面塚 「観世流発祥之地」⑧忍性菩薩誕生之地石碑⑨歴史と愛の町屯倉 ⑩万葉歌碑⑪黒田大塚古墳 ⑫法楽寺⑬天王塚古墳 ⑭黒田駅。
古墳で有りながらバス釣りが出来る‼️ほとんど釣れないけど❗️でもトイレ駐車場(五台位)有りで、不思議と言うか奇妙なバスフィールド❗️
2019.12.23訪問 寺川と飛鳥川にはさまれた地に築かれた巨大前方後円墳です。
墳丘の全長190m、前方部長92m、同幅93m、後円部径98mで、盾形周濠(南北265m、東西175m)を。
4世紀末~5世紀はじめごろの築造で、同時期の古墳では最大規模。
墳丘は高さ13mほどの三段築成となっており、円筒埴輪古墳の南方には、全長50m前後の前方後円墳を含むいくつかの古墳が点在し、式下(しきげ)古墳群と呼ばれている。
この古墳群の盟主的重要な位置を占める。
街の中にポツンと古墳があります。
史跡研究上、この場所に造られたことの意味を探すと、面白さが倍増します。
島の山古墳ですね。
古墳時代の知識は、まるで無い素人ですが、肉眼で前方後円墳の全形がはっきり判る素晴らしい古墳だと思います。
本などの航空写真で幾つかの前方後円墳は見ましたが、現地で見た瞬間、まさにこの形なんだなと実感しました!周りに景観を遮る高い建物が無いので存在感抜群でした。
正面が見れないので、🌟一個引きです。
うわー、誰だ?島と鳥を間違えてるよ。
この辺の地図もずいぶん眺めていたはずなのに、こんな大物の間違いに気づかないもんだねえ。
更には口コミでわざわざ島を鳥に書き換えている人までいるよ。
ここは「島」の山古墳。
Googleは、間違えても誰かいつか直せばいいよいうのが基本方針のようだから、無条件に信頼してはいけない。
2017.11.10. (金) 12:10 初来訪 (奈良斑鳩人)鳥の山古墳に行って見ました 全長が200mも有る 前方後円墳で ソノ外周は全てが 10~30m幅の壕に囲まれ 古墳の南側以外は道路と隣接し 全景を眺めるには 車ならとても便利ですが 如何せん駐車出来る所がナク 困った次第でした!古墳は 4世紀末~5世紀初頭に造られたモノで誰のお墓かは不明で 竪穴式石室が有り 盗掘にあっていますが 多くの埴輪 装身具 鉄刀等の出土品が 2500点以上あったトノ事ですまた『鳥の山古墳』は 指定文化財の 国の史跡でも有り 壕には多数の鴨が 優雅に漂い ヤハリ多くの亀は 水面から長い首を 同じ方向に出し 一体何を見ているのでしょうか?「鶴は千年 亀万年」と言う言葉が有り様に今から約1500年前に造られた 鳥の山古墳を思いだし 眺めているのでしょうかぁ⁉
奈良県川西町唐院に所在する4世紀末~5世紀初頭の前方後円墳であり、馬見古墳群の北群に属する。
古墳は国の史跡、出土品は重要文化財に指定。
川合大塚山古墳の西方約1キロの寺川左岸上の微高地に築造された。
別名島根山古墳。
周辺の古墳とともに三宅古墳群を形成する。
盾型の周濠を含めた長さは265メートル、幅175メートルである。
東西くびれ部には造り出しがある。
墳丘からは葺石と埴輪列(朝顔形円筒、家形、盾型、靫形)が検出された。
墳丘長200mは全国で33番目の大きさ。
娘の糸井比売が応神天皇に娶られている島垂根の墳墓と考えられている。
全長200mの前方後円墳、築造時期は4世紀末から5世紀初頭と推定。
別名島根山古墳。
1996年に行った前方部の調査では、棺外遺物として133点の石製腕飾類、棺内遺物として鏡、石製合子、首飾り、腕輪等が出土されたとのこと(奈良県Webページより)
郵便局の前に貼ってあった地図にも入り口と思われるところは書かれてあるが実際はない。
あったとしても入れない。
静かです。
入場無料。
入場場所が、無い。
古墳ですが、ここで採れるタケノコは絶品です。
名前 |
島の山古墳 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト |
https://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/bunkashigen/main01802.html |
評価 |
3.7 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
200mの巨大古墳です。
周濠の柵10ヶ所位に古墳の解説板があります。
すぐそばの比売久波神社やふるさとセンターには石棺の石がおいてあります。