木曽川の上流の木を流し、一晩で組み立てたとされてい...
出世開運の道を開く八幡様豊臣秀吉や青木富太郎も恩恵にあやかる、安心の実績豊臣秀吉の武勇として語られる一夜城ですが、木曽川の上流の木を流し、一晩で組み立てたとされています。
この話、地元の方は、??となるはずです。
一夜城は、現在長良川沿いで、木曽川とは通じていません。
この社には、その一夜城築城に関する由緒書きがありました。
=================豊臣秀吉は、尾張国愛知郡中村郷中中村に生まれます。
現在の名古屋市の中村区にあたります。
母の再婚の折、光明寺(一宮市)に奉公に出され、その後、宮後(江南・曼陀羅寺あたり)に住む木曽川の川並衆の頭領一族の、蜂須賀小六と、親友となります。
また、側室、吉乃の方の生駒家(江南)に通う信長とも知れた間柄となっていきました。
秀吉は、蜂須賀小六と川並の仕事を手伝い上流のきこり達とも繋がりを作っていきました。
その折、信長から墨俣の地に城を築城する依頼が舞い込みます。
秀吉にとっては、一世一代出世のチャンスです。
当時、木曽川は、前渡あたりで分岐し、本流は芋島-鶉-佐波をへて墨俣で長良側と合流しました。
後半は、現在の境川の流れにおなじです。
境川の名前の由来も、尾張と美濃の境となっていたことから由縁されます。
秀吉は、上流で切った木を、木曽川で運搬し、墨俣で組立なおす、『一夜城プロジェクト』を考案しました。
蜂須賀小六・川並衆・きこりたちの協力も得られ、『一夜城プロジェクト』は順調に進みます。
極秘プロジェクトの成功を祈願し永禄2年よりこの八幡神社に参拝を繰り返し、作戦結構直前に願をかけをおこなった記録が残ります。
そして、永禄9年9月12日夜明け『一夜城プロジェクト』は決行されました。
『一夜城プロジェクト』の成功により豊臣秀吉は、天下人まで登り詰めていきます。
そして、この社は、もうひとり英雄を排出しています。
原三溪です。
柳津町で生まれた青木富太郎(後の原三溪)は、実業家として世界遺産に登録された富岡製糸場などを経営し、日本の近代化に大きく貢献しました。
さらに、美術品の収集や芸術家の支援、茶の湯の世界でも活躍し、横浜に三溪園を開いた人物でもあります。
明治版マルチメディアクリエイターです。
濃尾地震の時は、佐波八幡神社や佐波小学校の再建など故郷の復興にも支援を行い現在のこの社の再建に尽力した人物です。
この八幡様は応神天皇の神力を授けあなたを手助けしてくれることでしょう。
銀幣社原三溪ゆかり狛犬さんがデカイんよ。
静かでいい神社です。
名前 |
八幡神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
玉を持っている方の狛犬ちょっと楽しそう。