稲荷神社左手行ったところに池と池のあいだに碑が立っ...
毛利家の外交僧として活躍した安国寺恵瓊だったが、兵数1800は吉川広重の内応で動けないまま退却し、京で捉えられ斬首。
22/2/19訪問22/10/16再訪問。
毛利家外交僧で毛利本家の輝元公を西軍総帥に担ぎ上げ、圧倒的有利な陣形で関ヶ原合戦に望みましたが、毛利秀元公とともに前面に布陣した吉川広家公に足止めをくらい合戦に全く参加出来ずに松尾山に布陣した小早川秀秋公の寝返りもあり、加担した西軍は負けてしまいます。
合戦後捕らえられ石田三成公、小西行長公とともに京六条河原で処刑されます。
敏腕の外交術で自身の描いた筋書きに自信満々だったのでしょうが、内応までは読めなかった様です。
南宮山の麓に吉川広家公陣跡と毛利秀元公陣跡に挟まれたかたちで残る陣跡は自身が描いた筋書き通りに事が運ばなかった無念さが時を越えて伝わる気がします。
是非、吉川広家公陣跡、毛利秀元公陣跡、南宮大社とセットで南宮山周辺を散策されてみて下さい。
南宮山への東ルートはこちらから。
おお!ここに恵瓊が陣取っていたと思うと感慨深い。
大河ドラマの『軍師官兵衛』のシーンを思い浮かべた。
(2020_01_03)
遺構は案内板の所ではなく東蛇池(左側)の東側にあります。
土塁や竪堀?のようなものがあります。
そこへ行く道は整備されていないので注意が必要です。
南宮大社を進み、稲荷神社左手行ったところに池と池のあいだに碑が立っています。
吉川軍から500m西、毛利軍の入口に位置してます。
付近に鹿がいました。
熊出没の注意書きもあり。
自然豊かな場所。
西軍、安国寺恵瓊の陣所😁南宮山の麓に在ります😁安国寺恵瓊は豊臣秀吉を「さりとてはの者」と評したことでも有名です😁
何もない南宮大社の駐車場を借りましょう。
何もない南宮大社の駐車場を借りましょう。
名前 |
安国寺恵瓊陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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☆南宮大社裏手南、南宮山ハイキングコース入口、東蛇溜池横に毛利家の外交僧『安国寺恵瓊』陣跡🐎南宮山の北麓、北西に吉川広家陣地、後方の南宮山頂には毛利秀元隊が布陣、何も出来なかった野心家の安国寺恵瓊はこの展開にこの地で何思う🤔出自は武家の名門/安芸武田氏、安芸武田氏は毛利元就に攻撃され滅亡、安芸の安国寺で出家、後に毛利本家と交流のあった京都東福寺の竺雲恵心の弟子となり、毛利家の外交僧に、羽柴秀吉の躍進を予想し接近、石田三成と交流謀議し毛利一族当主/毛利輝元を西軍の総大将の担ぎ出すも、吉川広家ら毛利宿老と反目、天下分け目の関ヶ原の戦いに戦わずして敗北、戦線離脱し逃亡も京都で捕縛され六条河原で斬首梟首⚔️