1300年のパワー、近津神社。
近津神社(下野宮)の特徴
1300年の御神木である鉾杉が圧巻で、パワースポットとしても有名です。
近津三社の一社であり、面足尊・惶根尊・級長津彦命が祀られています。
毎年夏至の日には中田植祭が行われ、地域の伝統を感じることができます。
週末に参拝しましたが無人でしたね、御朱印に関してはどうすれば良いのか説明書き等も無く断念、境内は凛とした神域感に包まれており気持ちの良い杉の木の香りの風が吹いてました。
駐車場も特に無く路駐しました。
この日は、陸奥一之宮である馬場都々古和氣神社と八槻都々古別神社と、この近津神社を巡りました。
近津三社の一社とのことで、初めて参拝に上がらせ頂きました。
御神木(鉾スギ)が約1300年の巨木が圧倒的で、数百社の神社で御神木を見て来ましたが、とても凄い御神木です。
日本武尊が創建したと云われています。
社殿は慶雲4年(707)に造営され、ご祭神は面足尊・惶根尊・級長津彦命の三柱。
近津三社(福島県の馬場都都古和気神社・八槻都都古和気神社)の内の1社。
下宮近津神社は大子の上宮と町付の近津神社にご分霊を勧請していて、こちらも近津三社と称されています。
ややこしいですね。
(^o^)
◎近津(チカツ)神社「都々古別三社(近津三社)の一社」「近津三社の一社」(馬場都都古和氣神社(上宮)・八槻都々古別神社(中宮)・近津神社(下宮))◎集落の中、小学校跡地の前に鎮座する無人の神社ですが、とても綺麗に維持されている立派な神社です。
素晴らしい氏子さん達がいらっしゃるのでしょう。
近津三社の下宮ですが、個人的には1番立派だと感じました😌
近津神社に来ました、社務所は無人でした、やはり素晴らしいのは、1300年、ご神木の巨大杉です、圧倒されました、私はこんなに凄い杉見たのは初めてです、しばらくこの杉の木から離れられませんでした、なんか知らないパワーみたいなものを感じて、気をもらった様な感じです、駐車場は正面鳥居の横に、旧小学校の前に止めました、近津神社本殿も見るからに歴史を感じました、とにかく、ここに来てよかったです。
立派な神社です。
誰もいなくてちょっと寂しいですが。
夏至のお祭りの時だけ賑わうのでしょうか。
今度は夏至に行きたいです。
近津神社に寄りました。
ここの中田植が有名です。
中田植は、下野宮近津神社で毎年夏至の日に行われる田植祭です。
夏至の日は二十四節気の中(ちゅう)に当たり、昔の田植え時期のほぼ半ばであるところから、中田植の名があるといわれています。
この田植祭がいつ頃から行われているのかはっきりしませんが、かつては水戸義公(徳川光圀)寄進の神饌田(しんせんでん)に植える習わしであったと伝えるから、江戸時代前中期にはすでに行われていたものと思われます。
その後、神饌田はより拡張されたといわれています。
祭りは、まず神殿にて修祓(しゅうふつ)、祝詞(のりと)奏上、王串奉奠、田植歌奉納などの神事を行った後、田植神事に入ります。
神田に注連縄が張られ、祭主(神宮)による修祓の後、太鼓、笛、鼓の奏楽に合わせて田植歌の唄われるなかを、10余名の早乙女(さおとめ)が神田に苗を植え付けます。
早乙女は、浅葱(あさぎ)の襦袢(じゅばん)に赤襷をかけ、赤いもんぺをはき、すげ笠をかぶります。
田植歌奏楽は、神田わきに設けられた囃子舞台にて、田植歌保存会により行われます。
祭事に奉仕する人々は、氏子の中から厳重な審査を経て選ばれた男女20名ほどです。
この日は、神饌田の一部が一般の者にも開放されますので、人々は、自由に田植えに参加できます。
参詣人は、五穀豊穣、家内安全、無病息災を祈願し、植え残りの苗と境内の寒竹をもらって帰ります。
持ち帰った苗は家の神棚に供え、寒竹は馬に食べさせたり、田の中にさしたりします。
苗は豊作のもとに、寒竹は馬に食べさせると病気に効くとのいい伝えがあります。
また、境内の神馬(しんめ)舎には木彫の神馬が納められていますが、参詣人は、子供を連れてきて「はしかくぐり」と称して神馬の腹の下をくぐらせます。
はしか除けになり、麻疹が軽くすむといわれています。
級長津彦命・面足命・惶根命を御祭神とする神社で、社伝によれば景行天皇40(110)年、日本武尊が東征の際に八溝山に立てこもる賊を打ち払い、3神を祀ったことが創建とされ、文武天皇・慶雲4(707)年に社殿が建立され、霊鏡・霊剣・金鈴が奉納されました。
当社は八溝山から流れる八溝川の下流・下野宮に鎮座し、上流・上野宮及び中流・町付にも近津神社が鎮座し、上野宮を上宮、町付を中宮、下野宮を下宮として『近津三社』と呼ばれ、八溝山の麓社群を構成していたとされます。
御神木である『鉾スギ』は、茨城県の文化財(天然記念物)に指定され、樹高43m、幹囲9.6m(目通り)、樹齢1300有余年(推定)で、社殿建立の際に植えられたものと云われています。
『近津神社の中田植』は、毎年夏至の日に行われる田植祭で、大子町の無形民俗文化財に指定されています。
境内の鳥居周辺に駐車スペースあります。
夏至の日になると田植祭が行われます。
周囲は静かな雰囲気です。
なかなか良い感じの神社です。
樹齢1300年の御神木の杉が見事です。
この場は気が整っています。
以外にも穴場の良い所は探せばありますね。
立派な神社!でも管理者不在ですね~!
なかなか立派な神社です。
近津神社ちかつじんじゃ茨城県久慈郡大子町下野宮1626祭神面足尊惶根尊級長津彦命付近には近津神社が3社あり「近津三社」と称されています・面足尊(おもだるのみこと)伊奘諾尊,伊奘冉尊の2神の1代前に生まれた・惶根尊(かしこねのみこと)面足尊とともに生まれた女神・級長津彦命(しなつひこのみこと)伊奘諾尊,伊奘冉尊の子で風神北関東には大黒天信仰が顕著であり興味深く感じた2020/10/18 参詣。
御祭神は面足尊・惶根尊・級長津彦命。
日本武尊の東征の際,八溝の夷討伐に御祭神の多大な加護があったことから,一祠を建立して鎮斎し,慶雲4(707)年に改めて社殿が造営された。
延暦20(801)年に坂上田村麻呂が,康平年間(1058-1064)に源義家が当社で戦勝祈願。
その後も足利・佐竹・水戸徳川家の尊崇を受けてきた堂々たる大社で,同町内の上野宮(上野宮近津神社)・町付(町付近津神社)とも合わせて近津三社(近津三所明神)とも称されます。
明治9年郷社列格,明治40年共進指定,昭和21年県社列格。
当社は,延喜式内(小)社「久慈郡稲村神社」の論社ですが,これは上野宮近津神社の鎮座する付近の地名が稲村だったことに依るもので,上野宮近津神社の創建は江戸時代という説もあり(他説ありですが),そもそも延喜式が成立したのは延長5(927)年。
その頃の大子町は陸奥国に属し,常陸国に編入されたのは佐竹氏の時代になってからですから,この線は薄いでしょう。
さらに当社は,延喜式内(名神大)社「陸奥国白河郡都都古和気神社」の論社にして,こちらはなんと陸奥国一之宮です。
これがまた複雑な体系となっており,馬場都々古別神社(福島県棚倉町)を上宮とし,八槻都々古別神社(福島県棚倉町)を中宮とし,当社を下宮として(またしても)「近津三社」をなしており,三社一体として式内社としていいのやら,決めがたいところです。
ともあれ,式内小社・名神大社・陸奥国一之宮であろうがなかろうが,決してその名に負けることなき格式と悠久の歴史が感じられる見事なる大社であります。
近津神社の中田植で有名。
毎年夏至にはお田植え祭が開催されます。
冬場には7日祭り 5年に1度大祭あります。
神主さんは普段は不在みたいですね!
ずっと昔、バイクツーリング以来の2回目の参拝です。
懐かしいです。
令和元年のお田植え祭は6月22日土曜に執り行われるそうです。
その日なら御朱印戴けると思います。
かなり歴史を感じる神社でした、鉾杉(樹齢1300年)と言う御神木には圧倒されました、かなりのパワースポットだと想います、また、6月の夏至の日には中田植え祭りが毎年行われていて一度は見学に行きたいと思いました!!
静かな林の中にひっそりとあります。
社の西側には大樹が。
手前にも大きな杉があります。
静かで趣のある素敵な神社です。
中田植は、下野宮近津神社で毎年夏至の日に行われる田植祭です。
賑やかに田植えが始まりました。
田植えをしている人は近くのご婦人たちでした。
よかったですよ。
名前 |
近津神社(下野宮) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
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棚倉にある八槻都都古別神社とペアになっているそうな奥州一宮ですがとっても質素な神社です。