なんとなく神秘的な雰囲気を漂わせる神社(やまとたけ...
林と滝に囲まれた、涼しげながらも凛とした空気をもつ神社。
神社脇に車を止めれるスペースはあるが、道中狭いので要注意!自然の中で過ごしたい時にオススメです。
神社と滝がすぐ脇にありおろちと剣の彫り物がある神社から階段を降りていくと滝が下から見られる。
鳥居も扁額も無いのですが、何故か屋根の上に「日本武神社」と書かれていました。
滝や音が響き、社の周りにも水の流れる涼しげな神社。
神社脇にも車は何とか停められますが、橋を渡った右手に神社の正面へ廻る場所があり、結構広くなっているので、そこへ停めた方が良いかと。
不動川▶蛇尾川▶箒川▶那珂川(那珂川水系の流れ)水量豊かな不動川にある不動滝は隠れた滝の一つで、なんとなく神秘的な雰囲気を漂わせる神社(やまとたけるのじんじゃ)を誕生させたと思える場所です。
日本武神社(お不動様)・不動滝 建久六年(1195年)に、福原城主の那須久隆が、鬼門除けとして不動明王を祀ったのが始まりといわれています。
宇田川村は、元々は那須家の所領であったが、貞永四年(1687年)十月十四日に後継問題から改易、幕府の直轄領となり、宝永三年(1706年)からは上宇田川村は、久世氏、下宇田川村は松野氏の二人の旗本の知行所となった。
なお、安永二年(1773年)の家数106戸、人数414人、馬80頭と故藤田隆氏の「家数人別調帳」に記されています。
文政七年(1824年)に不動堂再建する際に、寄附帳記名の序列の争いがあったと言われています。
宇田川村は、上村と下村になり、総名主は上村の七郎右衛門(七郎右衛門家は、家運が衰え、40年近く下村の茂右衛門総名主を代行、その後、上村の三左衛門が総名主になる。
)で、下村の名主が茂右衛門であったが、茂右衛門の家は裕福で、不動堂再建の再に三十両を用立てていたため、寄附帳の序列で一番にと言い出して争いが生じ、結果的には再建が一年先送りになったと「不動堂再建談判席争いにつき願い書」(大田原市史)に記されています。
現在の主祭神は、日本武尊であるが、地域の人々には、お不動様として親しまれ、那須与一の絵馬もお堂内に奉納されています。
また、地区外の人々にはあまり知られていないが、地域内の豊かな水環境をもたらし、田園地帯を流れる不動川の下流に位置する不動滝は水量も豊富で、滝周辺には沢ガニ等も棲息しており豊かな環境と風光明媚な景観を形成しています。
立て看板参照。
不動川▶蛇尾川▶箒川▶那珂川(那珂川水系の流れ)水量豊かな不動川にある不動滝は隠れた滝の一つで、なんとなく神秘的な雰囲気を漂わせる神社(やまとたけるのじんじゃ)を誕生させたと思える場所です。
名前 |
日本武神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=75030 |
評価 |
4.1 |
ここだけ時間が止まっている様な雰囲気のある場所です。