古墳の上には神社が建立された様です。
地場の神を祀ったとされる神社二柱も合祀されている様だが詳細は不明地元の方曰く、江戸時代に寄合所を作る事になり古墳の南側を削り追加で作成したとの事木曽川北の小高い丘に位置する為南には名古屋や一宮小牧等が一望出来る名古屋空襲の際には燃え上がる様が見え黒煙がこの辺りまで流れてきていたのと事下生えの草等は処理されており整備が行われている事を感じさせた天気が良ければ風も気持ち良く景色も良い場所。
中山道の宿場町、鵜沼宿の中心部にある神社。
境内は小高くなっており風通しも良く、心地よい空間。
神社の成立前から古墳が存在していたとの記述もあり、古くから人々に大切にされていたと思われる。
旧中山道〔鵜沼宿〕の脇本陣に芭蕉句碑がある。
その中の一つは珪化木に句を刻んだもので珍しい例。
① ふくしるも喰へは喰せよきくの酒 楠の化石(左) 芭蕉は、貞享5(1688)年に訪れた際、宿泊先の脇本陣坂井家でふぐ汁と菊花酒の歓待を受け、主人からの求めに応じて即興で句を詠み、その句を自ら珪化木に刻んだと伝えられている。
Requested by the host of inn, Basho made a haiku (17 syllable poem) and carved it on a fossilized piece of wood.珪化木に刻んだ句碑は、伊勢市・常明寺にもある。
② ふくしるも喰へは喰せよきくの酒 ③ おくられつ送りつ果は木曾の秋 〔更級紀行〕での句 更級紀行首途乃地 貞享5(1688)年、姨捨の月をみることを主目的に「さらしな紀行」の旅に出た。
出発前に詠まれた句が刻まれている。
This monment indicates that Basho departed from here for his journey to Shinano Province (Nagano Prefecture) to see the harvest moon at Obasute.④ 汐留の水泡たつや蝉の聲(右) はらなかやものにもつかす啼くひはり(左) Unuma is the 51st post town of Nakasendo that was established in the Edo era and was one of two routes connecting Edo (Tokyo) to Kyoto (thence to Osaka).
名前 |
二ノ宮神社 |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
神社の詳細は不明だけど地元の人が綺麗に整備しておりとても厳かな雰囲気のある神社でした階段は急ですが登ってみて 鵜沼宿全体の 景色が見えて良かったと思います。