名前 |
鹿島宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
御祭神 建御雷神配祀神 大物主命由緒鹿島宮は、文明十年(1478)新田貞氏より四代目の信濃守國繁の居城である新田金山城を國繁の長男業繁に譲り、現在の太田市吉沢町萩原に移住した時に創建したと伝えられています。
当神社は建御雷神を主祭神として祀り、国譲りの神話では建御雷神は、天上の高天原に鎮まります天照大御神の命により、地上を治める出雲(島根県)の大国主の神に、地上の統治の譲渡を承諾させる功績をあげたと記されています。
又建御雷神を祀る神社は、鹿島神宮(茨城県)を始め、関東を中心に全国九百社にのぼります。
御祭神の神徳は、武運長久、国家鎮護、厄除開運、家内安全等で、神話の中では最強の武神であると伝えられています。
(境内案内板より)鹿島宮の背後の山は「小字鹿島山」(「太田市地籍集成図」昭和63年より)。
地元の方は「鹿島の山」と呼んでいます。
鹿島神社は茨城、栃木には多いお社ですが、群馬県では珍しい神社です。
私事で恐縮ですが、以前日本神話に興味を持った頃は、日本の神様は似たような読みの名前が多く、しかもちょっと読めない字ばかりで、例えばお相撲の最初と言われる勝負をした武甕槌神と健御名方神など、どっちがどっちだか、読み方も最初は分かり難いですが、健御名方神なら大権力に最後まで抵抗した国津神で「お諏訪様」、武甕槌神なら要石でナマズを押えて地震を鎮めている天津神の「鹿島明神」と言った方が覚えやすく、今回は群馬県には少ない「鹿島明神」の「鹿島宮」ですので、どんな神社なのだろうとウキウキしながら参拝にお伺いしたワケです。
お社は、何かこう粗削り感イッパイの石段の先にあり、これまた粗積み感のある石垣の上にありました。