太田市世良田町にある天台宗の寺院です。
世良田山長楽寺は、天台宗のお寺で、徳川家康の命で天海僧正が住職になったようで、江戸時代には発展したようです。
境内には建物や史跡などがあります。
世良田東照宮の横にあるお寺。
元々は東照宮と一体だったお寺なので、境内広く見渡すと県重文の三仏堂とか、同じく県重文の三仏堂など、江戸時代の面影を残す建造物等々がある。
Googleマップにて、このマーカーが置かれる本堂は、新田と徳川の御紋が鮮やかに翻ってはいるが、見所は少ない。
国指定重要文化財の長楽寺宝塔という鎌倉時代後期の石塔があるのが、一応このお寺の境内である。
東照宮と当寺の境目あたりの小高い丘にあり、案内板も目立たず非常に分かりづらい。
素人目には見てどうのこうのという物では無いが、国指定という響きに弱い人は丁寧に探して頂きたい。
太田市世良田町にある天台宗の寺院です。
創建は承久3年(1221)、後鳥羽上皇の勅願により得川義季が栄朝禅師を招いて開山したのが始まりと伝わります。
勅使門・三仏堂・太鼓門が群馬県指定重要文化財となっています。
歴史資料館でこの寺の掛け軸の展覧会があり、それを観覧した後に来訪。
掛け軸を保存しているお寺なのでさぞかし立派な寺かと思いきや拍子抜け。
門の前の紹介文に東日本最初の禅寺と書いてあったが、その後時の権力者の都合で次々と改宗したとのこと。
令和になった現在はただの寂れた田舎の寺になってしまっている。
見事なまでに見所ナッシングです。
唯一見ごたえを期待できそうな三仏堂は閉扉されたまま、本堂は新築、太鼓門もわざわざ見に来るほどのものでなし、そもそも境内を開放しているだけで拝観を受け付けている気配がありません。
近くの八坂神社、となりの世良田東照宮に参拝して、時間があまっていればどうぞ。
とても静かなお寺です。
御朱印を住職にお願いしたところ、御朱印を書いてくださリ、文字の意味も説明して頂きました。
また、住職のこ自宅で飼われているワンちゃんが半端なくカワイ過ぎました。
世良田東照宮へ行く途中で寄りました。
敷地の広くて奥にこのお寺を開いた初代のお墓と木像が納められていた趣きのあるお堂があり古さに圧巻。
木像は新田荘歴史資料館に展示されてました。
ご朱印もありがたく頂き、ご住職よりお寺やご本尊のお話をしてくださいました。
頂いたご朱印にも願かけもしていただいたようでありがたく思います。
心に残ったお言葉は「人間、笑顔を絶やさなければ良い方向で道は開けます。
ただ日々のなかでは難しささもありなかなかうまくはいかないと思いますが笑顔は人や自分自身も幸せにします。
」今の自分の状況と合致しましたし心に響きました。
ありがたいお言葉感謝いたしますm(_ _)m
Wikipediaによると、世良田宿は長楽寺の門前町で交通の要所として当時の北関東屈指の経済都市であったという事実である。
当時、長楽寺を庇護していた世良田氏は衰退して長楽寺再建に積極的に関与できる状況ではなく、そこに目をつけた新田義貞が「売寄進」という方法で世良田の有力者である道海を介在させて長楽寺に寄進を行うことで世良田氏に代わって長楽寺及び世良田宿の庇護者となってその経済的権益の掌握を目指したもので、併せて得宗勢力との関係強化を図ったものであったとみられている。
初期の足利幕府(尊氏&直義二頭制)が制定した五山十刹の、十刹の一つに指定されていた。
広い境内にある勅使門や蓮池、三仏堂等が往時を偲ばせる。
開基である世良田得川氏(義季?)の立派な宝塔もある(国重文)。
三河国平姓末流出自の土豪武士は、征夷大将軍の称号を得る為にこの源姓得川氏の子孫を僭称した。
名前 |
世良田山 長楽寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0276-52-1035 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
群馬県太田市世良田町にある天台宗の寺院です。
承久3年(1221年)に世良田義季(徳川家の遠祖)が開基し、臨済宗の僧・栄朝が開山とし創建されたと伝えられています。
隣に世良田東照宮があります。
御朱印頂けます。