この地にたどり着く。
浄土宗の本山とのことで皇室、徳川家とも所縁が深いようで本堂内には徳川将軍や天皇の位牌が並べられてました。
ご本尊の頭髪が鮮やかなブルーだったこと二尊並び立つ様式なのも珍しい。
入山料300円。
色々と詳しくご説明頂き感謝です。
滋賀県の浄土宗寺院。
本山(総本山は知恩院)とのこと。
サクラとツツジの共演みたいに、咲いていました。
きれいでした。
拝観料300円、御朱印300円。
京都市から高速源平史跡寄りながら45分?伊吹山が見え、関ヶ原まで1時間弱JR米原駅から3.7km?番場宿近くの 由緒あるお寺何と言っても1333年鎌倉幕府滅亡前六波羅探題から逃れてきた北条仲時公以下400人が自決、その供養塔が本堂裏山に人数分有ります山門手前右側駐車場広めバス含め10台位山門潜り左社務所拝観料300、住職さん山形県在住代わりに年配アラハチ女性2人受付本堂案内説明、グーグルマップ見ると近くの山に北条仲時墓所があるので案内します、続く。
鎌倉幕府の滅亡時、足利尊氏軍の攻撃を受けた北条仲時等は、京都の六波羅からここまで逃れてきて、佐々木道誉の軍に囲まれ、観念し、400名以上がこの場所で自刃したそうです。
供養塔がその人の数分だけありました。
寺の中には、亡くなった人それぞれの氏名が記入してある当時の記録もあるそうです。
お寺の中は、見ることはできませんでした。
理由は分かりません。
学生時代の友達に、鎌倉時代に詳しい人がいました。
彼女からいろんな話を聞く中で私も興味を持ち、少し学びました。
その中で一番好きだったのが、最後の六波羅探題の北条仲時公です。
彼が鎌倉に戻る途中で力尽きたところが蓮華寺です。
かなり時間がかかってしまいましたが、やっと仲時公とご家臣の皆様のお墓参りが出来ました。
本堂内にあるご位牌も見ることができました。
敷地内には、斎藤茂吉の句碑もあります。
詳しく説明していただいたので、とても感謝しています。
聖徳太子や天皇に縁のある古刹。
鎌倉時代末期、後醍醐天皇の挙兵(元弘の乱)に呼応した足利尊氏に都を追われた六波羅探題の北条仲時が鎌倉へ落ち延びようとしたが、敵勢に包囲され一戦を交えた後、一族郎党と自害した地。
北条仲時の墓は後年に彦根藩井伊氏により、近隣の六波羅山に移されたとある。
滋賀県米原市にある浄土宗本山。
南北朝期の史跡や鎌倉時代の重要文化財の梵鐘、勅使門など見どころも多い。
拝観料300円を納めたら親切丁寧な案内をして頂きました。
本堂内はすごく立派、番場忠太郎もおりました。
ずーっと行きたかった普恩寺殿の蓮華寺!ご本人はお寺の向かいにある六波羅山にいらっしゃるそう。
気軽に登れる山ではないので麓から拝みました。
住職はいらっしゃいませんが、檀家さんか蓮華寺の立派な本堂を案内してくださいました。
過去帳も見たかったなあ。
『太平記』ゆかりの地ということで、ようやく念願叶って参拝できました。
(ただ、このご時世か内部の拝観は出来ずでしたが)それでも今を遡ること688年前の1333(元弘3)年5月9日、足利高氏や播磨赤松勢による京・六波羅攻撃により、光厳帝と花園・後伏見両院を奉じて鎌倉へ退却途中、ここ番場宿にて佐々木道誉など後醍醐方の軍勢に遮られ、六波羅北方探題の北条仲時以下432名が、当寺本堂前庭で自刃したという由緒を持つ古刹であり、本堂右手の一画には六波羅方の墓が並んでいました。
以前の大河ドラマでは、この六波羅方の自決については割愛されていましたが、いまでもここの墓地は、近江路の露と消えてしまった鎌倉武士達の末裔の方々によって、大切に護持供養されており、少し安心しました。
門前に駐車場あり。
檀家さんがお寺のもりをされていて、お願いすると宝物室を見せていただけます。
鎌倉幕府が滅亡の際、幕府の京都の拠点・六波羅探題の北条仲時以下432名が京都から退却し、この地にたどり着く。
後醍醐天皇方に包囲され、ことごとく自刃する。
境内には北条仲時一行の墓があります。
なかなかの迫力で歴史の重みを感じます。
番場宿にあります。
静かな山寺といった佇まいです。
尊氏兄弟に追われた北条仲時以下430余名の自刃の地であり、彼らの墓碑が安置されています。
鎌倉幕府滅亡の折(1333)年、京都合戦に敗れた時の六波羅探題「北条仲時」が南朝方に追い詰められ430余名と共に切腹した処として有名な浄土宗のお寺です。
また長谷川伸原作の「番場の忠太郎」を記念する「番場の忠太郎地蔵尊」もあります。
入館料300円を払いパンフレットを手にして進む。
六波羅探題の北条仲時以下家臣400名余りが自刃した際に流れた血の川がありその奥に彼等の墳墓がありました。
南北朝時代の趣きを遺した寺院。
すぐそこに名神高速道路の騒音が気になり星一つ落としました。
境内に入る山門前に駐車場があります。
境内への入場は自由ですが、本堂内への拝観は拝観料300円がかかります。
御朱印をいただきたかったので、内部の拝観をさせていただき、内陣の案内と縁起歴史を説明していただきました。
最後に、本堂裏側にある宝物庫を見学させてもらいました。
私は米原の地名に関係深いものです。
檀家が少なくお寺の維持も大変ですとお聴きしました、ご住職も此所には居られず山形の住職が兼務されておられるそうです(瞼の母)の番場の忠太郎の地蔵尊 巨木(一向杉)など色々と見所はあると思います 創建は1400年前聖徳太子様が建立されたそうです。
山号を八葉山、寺号を蓮華寺、浄土宗の大本山歴史は古く聖徳太子によって開かれていますその後、鎌刃城主土肥元頼が、浄土宗三祖良忠の弟子一向を招いて寺を再建、八葉山蓮華寺と号した1333年(元弘3年/正慶2年)足利尊氏等に攻められた六波羅探題北方の北条仲時が、東国へ落ち伸びる途中、佐々木道誉に塞がれたため蓮華寺へ、本堂前で一族郎党432名と伴に自害その際に血が川の様になって流れたと伝わる時の住職同阿上人が彼らを憐れみ法名を与え、過去帳に登載したのが『陸波羅南北過去帳』である江戸時代は、時宗十二派に属する時宗一向派の本山となり、1943年浄土宗に蓮華寺以下57末寺とともに転宗、浄土宗本山となる。
中山道 番場宿 蓮華寺足利尊氏に六波羅探題を襲われ敗れた北条仲時は、番場宿まで逃れ北条仲時ら432名がこの寺の本堂前の中庭で自刃している(1333年5月9日)。
名前 |
蓮華寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0749-54-0980 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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由緒ある浄土宗の寺南北朝時代、六波羅探題北条仲時は関東に逃れる途上、ここ番場宿で南朝軍に包囲され、ここ蓮華寺を舞台に奮戦したが破れ、一族郎党430名あまりが本堂前庭で自刃したという。
その北条仲時公の墓石があります。