説明板には、明石全登VS福島正則の先手同士の衝突か...
夕方暗くなりつつで行くとちょっと不安になる場所だが、行く価値ありますね。
今は林の中ですが当時は違っていたのかもしれますん。
ちょっとわかりにくく、車ならかなり手前で停めないと行けません。
行ったところで看板と石碑なので‥
2023年6月8日行って来ました。
行き方Googleナビで宇喜多秀家陣跡にセットすると近く迄は行けます。
ナビで来るとちょっと離れた所で終了しますので先ずはスペースに車を停めて下さい。
駐車場専用駐車場無しですがスペース有りです。
感想宇喜多秀家陣跡だけちょっと離れた所に有りちょっと分かりずらいかな‥
2023年11月初訪問。
健康を兼ねて徒歩で関ヶ原駅→古戦場記念館→福島本陣→大谷本陣→宇喜多本陣→開戦地→島津本陣→関ヶ原駅と回りました。
途中、道に迷ったりもしつつ、のんびり巡って4時間もかからないくらいで回りきりました。
中山道や北国街道を歩き、敵陣との距離感も実感する…気候が良い時期なら徒歩も全然アリです。
さて、そういう訳で訪れた宇喜多本陣。
陣跡は鬱蒼とした森の中にあります。
大谷本陣も同じように薄暗い山の中なのですが、あちらは人の心を掴む良いエピソードが多く知名度も高い御方なので訪れる観光客もそれなりにいるのでそう寂しい感じはしないのですが、かたやこちら宇喜多さんは当時、西軍最大兵力1万7000人を擁し主力として大活躍されていたにも関わらずこれといったエピソードがないので現代人への訴求力が低く、結果、陣跡を訪れる人も少なく、そして鬱蒼とした森の中ということもあってとても寂しい雰囲気になっております。
森の中ではありますが、標高は高くなく、少し東に歩けばすぐにかつての主戦場跡があります。
まさに東軍を迎撃する気満々といった感じの布陣。
当時は木も切り倒して視界が良かったんだろうなあと思います。
これといって何かある訳ではないので、マニア以外は訪問する必要もないのかな、と思います。
秀吉政権下の五大老の1人、宇喜多秀家の陣跡です。
西軍としては最大戦力の1万7000の兵力を有し西軍の副将として出陣しました。
東軍の勝利となり伊吹山に逃走しましたが拘束され斬首は免れましたが八丈島に流されました。
84で亡くなるまで流罪人として生きました。
案内板に従って林の中を歩いていきますと道が二手に分かれます。
ちょっとわかりにくいかもしれません。
わたしはうっかり大谷吉継墓方面へ進んでしまいました(途中で気が付き引き返しましたが)。
武将としての実力は抜きんでていたようで、西軍の主力として福島隊と互角以上に渡り合っていたようですが... 無念であったことでしょう。
しかしそこは徳川方の調略が勝っていたということなんでしょう。
10/2 関ヶ原巡りにて浮田ともいうらしい。
森の中でひっそりとしている。
徳川側の陣に比べ守りやすいと思われるが、他の陣を移動して助ける事は難しそう。
ひっそりした感じ。
豊臣秀吉の養子、宇喜多秀家の陣所☺宇喜多隊は西軍諸将のなかでも特に戦意が高く、東軍、福島正則隊と一進一退の攻防を展開しました☺
とても静かで人気もなく浸れます。
山の湧き水が冷たくて気持ちよかったです。
説明板には、明石全登VS福島正則の先手同士の衝突から、関ヶ原の合戦は始まったと書いてある。
うん? たしか開戦は、霧深いなかを井伊の物見勢が発見され、小競り合いから戦域拡大していった…と思うが。
興味深いのはこの宇喜多陣に、剣豪宮本武蔵が参加していたらしいコトだ。結果、関ヶ原浪人となり各地を流浪することと成る。宇喜多秀家は西軍の中でも、戦意高く最大戦力、副大将として担がれ参戦した。
天満山の斜面地に布陣し、戦線を見事持ち堪えた。
松尾山の裏切り者に、奮戦かなわず一転逃亡者に…あげく八丈島流し…流転八丈で聴いたであろう”豊家滅亡”を、どう想ったのだろうか。
とても静かで人気もなく浸れます。
山の湧き水が冷たくて気持ちよかったです。
名前 |
宇喜多秀家陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
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石碑の東側に削平地と土塁がありました。