看板なければわからないね。
松平忠吉・井伊直政陣跡 / / .
看板なければわからないね。
案内板があるから助かる。
松平 忠吉(まつだいら ただよし)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将・大名。
東条松平家第4代当主、尾張清洲藩主。
井伊 直政(いい なおまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。
井伊氏第17代または24代当主。
上野国高崎藩の初代藩主。
後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで舅の井伊直政の後見の下、初陣を飾って福島正則と先陣を争い、手傷を負うも島津豊久を討ち取るなどの功を挙げる。
関ヶ原の戦いの開戦を抜け駆けで仕掛けた松平の陣跡。
東首塚の隣に有る。
徳川家康の四男、松平忠吉と井伊直政の陣所☺直政は忠吉を伴い合戦の朝、物見と称し前線に進み出て、先陣を任された福島正則を出し抜きました😁直政は島津義弘を追撃していたところ鉄砲傷を受け、その傷が元で亡くなりました😁
徳川四天王のひとり井伊直政と松平忠吉の陣跡。
近くには首実検場があります。
東首塚の脇、236号線側にひっそりとあります。
名前 |
松平忠吉・井伊直政陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
関ケ原主戦場のやや東に位置する陣跡です。
徳川忠吉は関が原が初陣でしたが歴戦の勇者である井伊直政の貢献の元、先陣を命じられていた福島正則を抜け駆けし一番鉄砲を放ちました。
陣は東軍全軍の中央よりやや後方に位置しており、かなりの抜け駆けと言えます。