各地に四散した木曽勢の中に木曽義仲の息女糸姫を守っ...
9/5参拝龍の手水舎あり樹木が素晴らしい。
木曽義仲は宇治川の戦いで敗れ、近江の粟津で敗死しましたが、各地に四散した木曽勢の中に木曽義仲の息女糸姫を守ってこの地に義仲寺を建立したと伝えられています。
後年永源寺の悦巌禅師を招いて寺号を宝聚院と改め、守護神として木曽明神をこの地に祀り神仏相和して栄えました。
明治の神仏分離令により、郷土の氏神木曽大明神祠は宝聚院の管下を離れ、神道祭祀の木曽神社になりました。
当社創立は平治年中に信州の城主朝日将軍木曽義仲公の守り本尊にして則ち神實は歓喜天の尊像なり。
右公此地に祈願所として真言宗の一宇を建立し、義仲寺と号し、鎮守として崇敬し給ふ。
其の後人皇百三代後花園院の御宇正長年中に悦厳禪師と申す僧義仲寺を宝聚院と改称し、禅宗に改宗す。
代々同寺の鎮守なり。
同寺境内に義仲公息女糸姫君の手植の櫻今に現存せり。
然るに御維新の神仏混淆分離の御趣意に基づき字門前に移転す。
後木曽大明神を当寺より一丁ばかりとある社中に納め給ふ。
祭神は木曽義仲(源義仲)とのこと。
境内の由緒書きによると、義仲が粟津の戦いで討たれた後、各地に四散した木曽勢の内、この地に隠棲した武将達が義仲の息女・糸姫を守って建立した義仲寺がこの神社の前身とされるそうです。
で、「旧殿は脇神として別宮に祀り社殿を新たに造営」とあるので、本殿右のお堂のような境内社が本家なのかもしれません。
名前 |
木曽神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
平家物語でもお馴染みの源平合戦の英雄傑物のひとり木曽義仲公を祭神とする神社です。
言い伝えでは義仲公の所縁の人々がこの地で義仲公の娘である姫君様をお守りするために義仲公を祭神として神社としたことが始まりだとか。
集落の中に溶け込むように鎮座されております。
こちらに向かう道中に道案内らしき標識は見当たりませんでしたが、神社近くの道路脇には立派な石碑があります。
また、境内に掲示されている御由緒を読ませて頂くととても興味深いものがあります。
木曽義仲公ファンはもちろんですが、一般の観光客の方々にとっても中々に趣深い場所ではないでしょうか。