自然を、最も楽しめたと思います。
2024.4.2湘南国際村→大楠山→長坂古道分岐→衣笠城跡→衣笠山公園→衣笠駅行ったことのない衣笠城跡を訪問するルートで歩きました国際村の歩き始めからどこの山道でも山肌にも桜がちらほら咲いてました大楠山山頂から下るコースではゴルフ場横を歩いていたら椿の真っ赤なじゅうたんを敷いている光景に驚き写真を撮らせてもらいました桜は?と出向いた本日大楠山でも衣笠山でも桜より?!椿の赤を目にしました衣笠城跡はコースを下りてきた麓にいきなり階段が現れその上だと案内がありました上がると小さな御霊神社があり城跡の敷地の1番上?奥?まで登りきると木立のベンチに風が吹きとても心地よい場所でしたその反対側?!に小道があり踏み跡を進み下りて行ったらとても荒れ気味でしたが20分程でちょうど衣笠山への入口辺りの16号に出ました桜はどこも咲き始めのようでこれからかもしれません。
2024年3月28日に散策しました。
大谷戸川と深山川に挟まれた舌状台地上に康平年間1058〜1064年、村岡平太夫為通が築城したと伝えられています。
治承4年1180年、源頼朝の旗揚げにともない、三浦氏と平家が激戦を繰り広げ、三浦義明が討ち死にを遂げた衣笠合戦で有名な城です。
宝治元年1247年三浦泰村が北条時頼との勢力争いに敗れて三浦氏が滅亡するまで、三浦氏の本城でした。
物見岩付近からは、経筒が発掘されています。
また、金峯山蔵王権現を祀った社や不動堂があったことも確認されています。
滝不動上の大善寺脇から登城させてもらいました。
初めて来ましたが紅葉の時期に来ると周囲の木立ち、自然を、最も楽しめたと思います。
衣笠城址のバス停から横横道路衣笠インター入口前を通り過ぎ信号を、渡った先の急な坂道を、上がって行きます。
途中かなり急坂に差し掛かります。
住宅地の中の坂道と言った場所を暫く行くとやがて大善寺の駐車場が見えて来ます。
そこから先は、車は、入れなそうです。
駐車場手前の細い階段を、更に上がって行きます。
鬱蒼とした道ばたになりますが足元に注意しながら上がり切ると広い原っぱになってて奥に三浦大介の石碑が安置されてます。
ここが衣笠城址の跡地らしいです。
尚、夜の探訪は、お勧めでは、ありません。
街灯が有りません。
暗くなる前に下山しましょう。
有力豪族であった三浦氏の居城だがこれといった史跡のないただの登山道と言った方がいい近くには当主義明・義澄の墓に義村を祀る神社があるのでセットで巡るのがオススメなお御城印があります、配布場所は京急横須賀駅東口側観光案内所と遠いですが。
横須賀三崎線から直接登れる階段ですが、チェーンが巻かれ「私有地につき立ち入り禁止」となっていました。
何があったのか詳細はわかりませんが、最近「鎌倉殿ブーム」で訪問者が多くなって何らかのトラブルがあったのかもしれません。
道中も含め、まさに山城跡です。
説明板と石碑のみですが、なかなか雰囲気はあります。
駐車場は4台程度ですが、切り返しスペースは十分にある。
ただし道が狭く坂が急なため、車のバンパー(リップ)を擦る可能性が高いです。
すれ違いも容易ではなく、運転には注意が必要。
鎌倉殿の13人、特に三浦氏にゆかり深い城跡だそうです。
三浦氏は、三浦為通が源頼義より相模国三浦郷に領地を与えられたことが始まりです。
その三浦為通により、この衣笠城が築城されたと謂れています。
衣笠城は、為通から四代(為継・義継・義明)にわたり三浦半島経営の中心地となります。
また、源平合戦では、衣笠合戦が起きた城として知られ、三浦大介義明が、源頼朝公の旗揚げに応じて挙兵し、この衣笠城に平家側の大軍を迎えて繰り広げた攻防戦は有名です。
このように、激戦地の跡地でもある衣笠城跡地ですが、今は人の訪れることはない静かな場所となっています。
そんなに急な山道ではないので、源平合戦の発端となった地を訪れてみてください。
JR衣笠駅から約40分で行けるアクセスの良さ、NHK大河ドラマ鎌倉殿の影響なのか多くのハイカーが訪れていました。
三浦半島を領地経営していた三浦一族の拠点となっていて城で、遺構こそほとんど残っていませんがいにしえの雰囲気を感じることができます。
衣笠山公園を経由して登城することがおすすめです。
寺の側の階段に城址の看板をつけてほしい。
昔の道標ではわかりにくい。
子供連れで楽しめる。
2020年11月10日 大楠山に続けて訪れました。
平に削られた曲輪跡があり城址の案内はありますが土塁や堀切らしい遺構は見当たりません。
周りは有力な豪族が住んでいたと思えない山の中です。
衣笠山公園展望台から県道27号に向かってハイキングコースを下りT字路信号脇に階段入り口があります。
道幅が狭い登山道を約15分で城址に着きます。
傾斜の丘陵にベンチと石碑があるだけです。
衣笠は現在でも交通の要衝になっています。
現在では「衣笠十字路」というバス停が人の集まる要衝となっていますが、大きな道路の重なる重要ポイントを見下ろす位置に衣笠城があります。
平安時代には三浦氏が治めていましたが、鎌倉の北条にやられて没落します。
静かで、いいところです。
それなりに案内があったし、そこそこ整備された山道。
ただし深入りすると藪道になってゆく。
三浦氏自慢の山城があったところです。
登山道はなかなか峻険です。
岩場は滑りやすいので注意が必要。
大きな岩が特徴の城跡。
通り抜けのハイキングルートが分かりにくい。
とても、荘厳な所です。
心して、訪れるべき場所。
身が引き締まる思いです。
人がほとんどいない穏やかな所。
静かに鎌倉時代のロマンが感じられる、三浦氏の城跡です。
遺構は何もなく広場のようになってます。
駐車場はないので衣笠山公園の駐車場に止めて歩いてきましたが、山道を下ってまた上がるので大変です。
往復2時間ほどかかりました。
衣笠山公園から衣笠城跡を経由して大楠山へのハイキングコースにもなっています。
急な坂。
矢竹、井戸、巨岩。
砦。
人工的に崖を作っている。
鎌倉時代の素朴な城。
三浦一族本城。
地元の歴史ある城。
歴史に疎いのですが、野原にアザミの花が咲いてツツジの花の下にお墓がありました。
時間の流れは速いのですね。
横須賀風物百選、平安時代から鎌倉時代にかけて三浦半島に勢力を張った「三浦一族」の城。
城といっても石垣もなければ堀もない中世の山城で、自然を上手に利用し、深山川・大谷戸川が堀の役目をしていたと考えられています。
衣笠城址公園。
大楠山からの衣笠コースの一環になってるが、設置されている地図が曖昧で不安になる。
横須賀市のHPの地図もぼんやりしていてアテにならない。
迷うかもしれないという心持ちの下、不安なときはコースを戻ったりしよう。
源頼朝の挙兵に呼応した、三浦一族の主城。
現在は完全に廃城となり畑と雑木林が点在する中に、屋敷跡が細々と保存されている。
道々には、いわゆる「矢竹」が生い茂っている。
ひょっとしたら当時の名残なのかもしれない、などと考えながら登る。
背後は切り立った崖となっていて、鉄壁の守備を誇ったことがうかがえる。
特に何もないところですが、花見のスポットとしては穴場だと思います。
前九年の役の戦功で源頼義から相模国三浦に領地を与えられた三浦氏の祖三浦平大夫為通が、1062年(康平5年)、衣笠山に築城した。
源頼朝が石橋山の戦いで敗れ房総半島へ逃げ延びた後、三浦一族は平家方の畠山重忠軍に衣笠城を攻められ落城。
城主義明は討ち死にした。
鎌倉幕府成立後、衣笠城はまた三浦氏の本拠となるが、1247年(宝治元年)、宝治合戦で三浦党が没落すると廃城となった。
遺構はそれほど残っていない。
名前 |
衣笠城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
046-822-8484 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/8120/bunkazai/shi47.html |
評価 |
3.7 |
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しっかり整備されていて、ベンチ多数。
2024/10/2