鎌倉殿の一人 三浦氏の拠点であった衣笠城を囲むよう...
北麓の墓地の駐車場から登れますが、墓地入口に近い駐車場からのルートは登山道が崩れて、更に暫く経っているようで、侵入も難しいです。
墓地公園に入って、南に曲がった谷奥にある駐車場からのルートなら登山可能です。
入口に赤いコーンが立って進入禁止のように見えますが、テープで封鎖されていないので、そのまま登れますし、特に登山道が崩れたりはしていません。
尾根に出ると、城跡の方へ向かい、最高所辺りから北側が城跡です。
遺構は解りにくいですが、『神奈川中世城郭図鑑』(戎光祥出版)の城郭図を見れば、よく残っているのが判ります。
主郭の北側はもう一つの登山道のルートに繋がり、進入禁止になっていますが、主郭から回り込めば、間にある堀切が良く伺えます。
その先は暫く整備されていないことからも、この先も暫く整備されないと思われますので、元の登山道を戻るのが良いかと思われます。
2020年11月10日衣笠城城に続いて訪ねました。
Googlemapでは住宅街からと表示されたが、道が無い。
反対側の墓地の駐車場に通行止めの階段を登って行きました。
長い間人が入った気配がない。
登りきったところで藪に塞がれていた。
本ではハイキングコースがあるとのことでしたが深い藪で諦めました。
Googlemapでは入口が住宅地側になっていますが、実際は霊園敷地内です。
また、令和元年の台風による土砂崩れで通行止めです。
他の人が書かれてるように、横須賀市営公園墓地の駐車場の急な階段から登りました。
頂上にも何も目印が無かったです。
一番高いところに木の階段がありましたのでその写真を投稿します。
小道が岩戸小学校の方にに続いてるようでした。
横須賀在住ですが、今まで存在を知りませんでした。
遊歩道があるが藪に覆われてる。
横須賀市営公園墓地の駐車場から階段を登ると到達できます。
目印が何もないので、よく分かりませんが、おそらく山頂一体が山城を形成していたのかと思われます。
宅地の造成で半分以上が削られている。
矢部次郎義澄(三浦義澄)の城別説では和田義盛の三男、朝比奈三郎の城であったと伝わるが明確な証明材料は無い。
また、現在「衣笠城址」とされる場所は「三浦党」にとって「信仰の地、聖域」であり、此処「大矢部」が本拠地だとする研究もある。
その場合、大矢部城址は本丸に相当し、清雲寺方向へのなだらかな丘陵に沿って曲輪や平場が形成されていたとされるが現在では跡形も無い。
(清雲寺周辺が辛うじて痕跡を残しているか?) 確かに三浦党に関する寺社は大矢部に集中し、かつては義澄の「矢部館」もあったと想定されているので、あながち有り得ない事も無い様に思える。
名前 |
大矢部城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.5 |
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鎌倉殿の一人 三浦氏の拠点であった衣笠城を囲むように支城群が配置されていました。
馬蹄形支城群と呼ばれる支城ネットワークの一つとして大矢部城がありました。
現在は、広大な横須賀市営公園墓地内の丘陵上に遺構が残っています。
案内は一切ないので下調べ要です。
公園内から散策路が繋がっています。
郭、土塁、物見台跡が確認できます。