観音崎砲台跡よりも規模が大きく、見応えがあります。
猿島要塞ほどではありませんが、観音崎砲台跡よりも規模が大きく、見応えがあります。
観音崎にある戦跡ではココが一番好きです。
弾薬庫の作りがとても綺麗です。
明治時代に作られたレンガ造りの弾薬庫などは太平洋戦争時にも活用されたそうです。
弾薬庫の前には兵舎跡か?待機場所の様な建造物がありました。
1894年明治27年着工、1896年明治29年に完成しました。
原形に近い形で残されていて、地下庫、見張所、井戸、便所もありましたが昭和9年に廃止されたそうです。
27センチカノン砲4門と12センチ速射カノン砲2門を備えてました。
弾薬庫か武器の倉庫の跡もあるのですが施錠されていました。
観音崎砲台の歴史は古く、江戸湾防備の為、1812年文化9年川越藩主松平肥後守により最初の砲台が築かれました。
その後は浦賀奉行所の管理となり、1861年慶応4年、江川太郎左衛門に管理が引き継がれました。
明治時代以後は、海軍省から陸軍省へと引き継がれ、観音崎一帯は1861年明治14年に要塞となり一般人は立ち入り禁止となり、太平洋戦争終戦まで管理されたとの事です。
このあたりは沢山砲台があったようです。
来てみるといろいろな発見があり楽しいです。
綺麗に整備されており、近所の方の散歩コースにもなっています。
昭和9年まで稼働していたレンガ造りの砲台跡地に、廃墟のノスタルジーを感じます。
一時間程度散策するにはちょうど良いコースですし、より内側を歩けば浦賀まで程よい散策もできそうです。
戦争は大嫌!遺跡は嫌いじゃない、高校生時代からここの 遺跡感は、好きです。
名前 |
三軒家砲台跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
046-843-8316 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
多少の上り坂は息が切れるが静かで緑が多くいい場所。
海も見えて素敵な立地。