「佐保過ぎて 奈良の手向に 置く幣ぬさは 妹を目離めかれず 相見しめとそ」
佐保すぎて寧楽(なら)の手向けに置く弊(ぬさ)は妹を目離(か)れず相見しめとぞ歌意 … 佐保を過ぎて奈良を後にするに当たって奉る弊は、無事に旅を終えてまた愛する妻の元に戻して欲しいとの願いが込められています。
長屋王の父は天武天皇の長男 武市皇子。
藤原不比等亡き後、舎人(とねり)親王と共に藤原四家を差し置いて皇親政治を主導。
しかし、謀反の疑いをかけられ、その愛する吉備内親王夫人と三人の子ども達とともに自害した無念の人。
名前 |
長屋王歌碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
歌姫街道の大和と山城の国境沿いの神として古くから尊崇されてきた添御県坐神社の境内にある。
長屋王は藤原氏を抑えて天皇中心の政治を守ろうとしたが光明皇后の立后にからみ藤原氏計られ長屋王の変で729年自害に追い込まれた。
長屋王の万葉歌碑「佐保過ぎて 寧楽の手向に 置く幣ぬさは 妹を目離めかれず 相見しめとそ」