国宝本堂のある長弓寺の鎮守社です。
たまたま発見して立ち寄った場所でしたが、とても気持ちの良いところでした。
ありがとうございました(^^)
延喜式神名帳にある添下郡伊射奈岐神社に比定される神社で、746年の長弓寺創建時、その鎮守として牛頭天王を大宮に、八王子を若宮に祀ったという。
長弓寺参道に建つ鳥居はこのお宮さんのもので境内を総括している。
これらは明治以前の神仏習合の名残と言える。
旧社格は村社。
きれいに手入れされており、とても清々しいお宮さんでした。
長弓寺の一角に、伊弉諾さんが鎮座する神社があります。
お寺も手入れの行く届いた綺麗でした。
神社は、大きくはないですが、流石に伊弉諾様が鎮座されているだけあって、拝殿に神々しさが感じられます。
【長弓寺】(ちょうきゅうじ)は奈良県生駒市上町にある真言律宗の寺院。
山号は真弓山、本尊は十一面観音、開基(創立者)は行基と伝える。
国宝の本堂は鎌倉時代の密教仏堂の代表作として知られる。
長弓寺の創建についてはいくつかの説があり、定説を見ない。
『長弓寺縁起』によると奈良時代に息子の流れ矢に当たって死んだ豪族・真弓長弓(まゆみたけゆみ)を悼み聖武天皇が僧・行基に開かせたと伝わり、後に藤原良継が堂塔を整えたとされる。
盛時には塔頭が20院あったとされるが、現在は4坊が残るのみである。
伝承によれば神亀5年(728年)、鳥見郷の小野真弓長弓(おののまゆみたけゆみ)という人物が聖武天皇に随行して狩りに出た。
同行していた長弓の息子・長麻呂が不思議な鳥が飛び立つのを見て矢を放ったところ矢は誤って長弓に当たり、彼は死んでしまった。
不運な長弓父子を哀れんだ聖武は僧・行基に命じて一寺を建立させた。
行基は十一面観音像を安置してこれを本尊とした。
十一面観音像の頭頂には仏面が乗っているが、これは聖武の弓を刻んだものだという。
なお「鳥見(登美)」は長弓寺の位置する生駒山東麓を指す古い地名で、神武天皇東征神話にも登場する。
現在の奈良市西部から生駒市にあたる。
その後、桓武天皇(737年 - 806年)の時代に藤原良継(716年 - 777年)が再興したというが桓武の即位は良継没後の781年であるので時代的に合わない。
別の伝承では平安時代初期に藤原緒継(774年 - 843年)によって創建されたともいう。
以後、中世までの沿革はあまりはっきりしていないが現在の本堂は棟木銘から弘安2年(1279年)の建立であることが明らかで真言律宗の祖・叡尊(1201年 - 1290年)によって再興されたものである。
長弓寺の境内東側にある伊弉諾(いざなぎ)神社は明治の神仏分離以前は牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼ばれ、寺伝では聖武天皇が長弓寺の鎮守として建てさせたものという。
長弓寺の参道入口に鳥居が立つことからもうかがえるように、近世以前は神仏混交の信仰が行われていた。
境内奥に国宝の本堂が建ち右側(東)には伊弉諾神社、薬師院、左側(西)には円生院、法華院、宝光院がある。
長弓寺本寺には住職がなく、4つの塔頭が輪番制で本堂を護持している。
所在地: 奈良県生駒市上町4443
国宝本堂のある長弓寺の鎮守社です。
式内大社の由緒あるお宮で、きれいにされているので、すがすがしかったです。
導きをくださる神様です。
延喜式神名帳の添下郡の伊射奈岐神社に比定。
長髄彦の旧跡、饒速日命と御炊屋姫を祀っていた。
二神の廟社であり「天羽羽弓」を納めた真弓塚が東側にある。
(古代史の復元)
名前 |
伊弉諾神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=5704 |
評価 |
4.7 |
初詣 参拝しました 絵馬 五角形だけに合格!