第69代・後朱雀天皇の圓乘寺陵に治定されています。
後朱雀天皇 圓乘寺陵 / / .
平安時代中期、第69代天皇。
1862年(文久2年)から行った「文久の修陵」で整備された、円丘の陵墓です。
周辺に、66代一條天皇:圓融寺北陵、69代後朱雀天皇:圓乘寺陵、70代後冷泉天皇:圓教寺陵、71代後三條天皇:圓宗寺陵、73代堀河天皇:後圓教寺陵、69代後朱雀天皇皇后:圓乘寺東陵と、寺の名前がつく陵墓があります。
圓融寺、圓乘寺・圓教寺・圓宗寺の場所はわかっていませんが、圓融寺は現在の龍安寺付近、圓乘寺・圓教寺・圓宗寺は仁和寺の南側と推定されています。
そのため、66代一條天皇:圓融寺北陵以外は、治定には疑問が残るかと思われます。
被葬者:第69代・後朱雀天皇宮内庁により、第69代・後朱雀天皇の圓乘寺陵に治定されています。
後朱雀天皇は平安時代を生きた方で、父は第66代・一条天皇、母は藤原彰子です。
拝:2020/10/31
朱山七陵に属している円丘の陵墓です。
龍安寺境内にあり、駐車場に向かう道から参道が分岐しています。
(陵墓の参拝だけなら龍安寺の拝観料は必要ありません。
)右から父親の後朱雀天皇・長男の後冷泉天皇・次男の後三条天皇の陵墓が築造されており、こちらは右側の後朱雀天皇です。
参拝した4月には、陵内から鶯の鳴き声を聞くことができました。
龍安寺境内裏にありますが、駐車場横から参道があり、ここだけの参拝なら無料ではいれます。
途中、三カ所くらい関係者以外立入禁止の看板が出ていますが問題ありません。
平安時代中期の三人の天皇が並べて祀られています。
後朱雀天皇 平安時代中期の第69代天皇一条天皇の第三皇子。
母は藤原道長女中宮彰子。
同母兄に後一条天皇。
後一条天皇の即位に伴い皇太子となった敦明親王が、寛仁元年(1017年)自ら皇太子を辞退したため、その後を受けて皇太子(皇太弟)となる。
同5年(1021年)道長の六女で叔母にあたる嬉子が東宮妃として入内、万寿2年(1025年)に待望の第一王子親仁(後冷泉天皇)が生まれるが、嬉子は産後の肥立ちが悪く2日後に急逝した。
その後道長の外孫で従姉妹の禎子内親王が入内し第二王子尊仁(後三条天皇)始め一男二女を出産、それとは対照的に兄後一条がついに皇子の誕生を見ぬまま崩御したため、その後を受けて即位した。
即位後は関白藤原頼通が養女嫄子を入内させて中宮に立てたのを始め、その弟藤原教通が娘生子を、同じく藤原頼宗が娘延子を相次いで入内させたが、いずれも皇子を出産することはなかった。
後冷泉天皇 第70代天皇後朱雀天皇の第一皇子。
母は藤原道長女藤原嬉子(贈皇太后)。
紫式部の娘大弐三位が乳母である。
頼通の娘寛子を皇后とした。
頼通は一人娘の寛子に皇子誕生の望みをかけ、その暁には皇太弟尊仁親王(後三条天皇)と交代させようとして皇太弟を冷遇したが、遂に皇子は生まれなかった。
後冷泉天皇の崩御により、異母弟で藤原氏を直接の外戚としない後三条天皇が即位することになる。
後三条天皇 第71代天皇後朱雀天皇の第二皇子。
母は三条天皇第三皇女・皇后禎子内親王(陽明門院)。
後冷泉天皇の異母弟。
龍安寺裏にひっそりとあります。
名前 |
後朱雀天皇 圓乘寺陵 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-601-1863 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.5 |
三帝第69代後朱雀天皇 円乗寺陵第70代後冷泉天皇 円教寺陵第71代後三條天皇 円宗寺陵横に並んでるのは珍しいです。