東軍が陣を構えた御霊の森がこの神社の境内です。
「応仁の乱勃発の地」碑 / / .
応仁の乱が始まる発端となった「御霊合戦」で、東軍が陣を構えた御霊の森がこの神社の境内です。
ここから応仁の乱が始まったと思うと意外と北側だな。
応仁の乱 御霊合戦跡。
応仁の乱の最初の戦闘が行われたところで、石碑の文字は、細川勝元の子孫である細川護煕元首相の揮毫だそうです。
神社の一画に石碑が建っているだけです「京都を歩いて歴史を感じる」をモットーにしている私の様な人には良いですが一般方には評価が低いと思う場所です。
東軍の勝ち、西軍は降伏。
応仁の乱の石碑は二つあるのですが、説明によると、こちらの石碑は細川氏の末裔で、かつて総理大臣だった細川護煕さんが揮号したそうです。
細川護煕さんって皆さんは覚えていますか?
歴史で有名な応仁の乱勃発地の石碑が2箇所にあり。
どちらにも案内板があります。
勃発の地から東陣跡、そして西陣跡へ歩いてみた。
歩くことでより歴史を実感出来た。
長い戦いが始まったところ。
子孫で元首相の方の石碑もありました。
応仁の乱発祥の地です。
五月は御霊さんのお祭りです‼️今は、イチハツが満開ですよ‼️綺麗です❗令和2年元旦初詣に行ったよ☺️
ここから十年にわたる長い戦いが始まったのだなと思いながら見ていました。
教科書での話題でしかなかった応仁の乱の始まった場所というので行ってみました。
意外にこじんまりとしたところですね。
あの長い戦いがあそこから始まったと思うと、面白いですね。
(18/01/13)御霊神社の境内に最近できたのか石碑がありました。
応仁の乱勃発の地と言いましても、昭和の時代に建てられた石碑が一本有るだけで、その時の痕跡は何一つ有りません、ですから此処を訪ねる時は、充分に応仁の乱の知識を頭に入れてから此処に来て、石碑を見ながら当時を妄想して下さいね。
応仁の乱勃発の地と言いましても、昭和の時代に建てられた石碑が一本有るだけで、その時の痕跡は何一つ有りません、ですから此処を訪ねる時は、充分に応仁の乱の知識を頭に入れてから此処に来て、石碑を見ながら当時を妄想して下さいね。
御霊合戦または上御霊神社の戦い(ごりょうがっせん/かみごりょうじんじゃのたたかい)は、応仁の乱における戦闘の1つで、文正2年(1467年、後に応仁に改元)1月18日から19日にかけて現在の京都府京都市上京区上御霊神社で畠山義就軍と畠山政長軍が衝突した。
この合戦が応仁の乱開始の契機となり、本格的な戦乱の幕開けとなった(wikiより)。
名前 |
「応仁の乱勃発の地」碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/ka030.html |
評価 |
3.7 |
教科書で習らった、応仁の乱の発端と思うと感慨深いです。