高瀬川越しにこんな立派な碑があるとは気付かなかった...
佐久間象山・大村益次郎遭難之碑 / / .
このような場所であると初めて知りました。
木屋町通りの二条通りから御池通りにかけて桜を見ながら。
歴史を振り返れます。
両人物とも蘭学や兵学を学んだ。
川を挟んだ所に並んで石碑が建っています。
後ろには桂小五郎幾松の寓居がある。
京都ホテルオークラさんの裏手にある遭難の碑。
歴史を感じる場所です。
三条通り沿いの石碑に目を取られて、高瀬川越しにこんな立派な碑があるとは気付かなかった...。
川向かいに見えます、かなり立派です。
「大政奉還150年幕末維新を歩こう」佐久間象山生年月日:1811年3月22日出身地:長野県死没:1864年8月12日 (53歳)佐久間 象山は、江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。
松代三山の一人。
通称は修理、諱は国忠、のちに啓、字は子迪、後に子明と称した。
位階は贈正四位。
象山神社の祭神。
象山神社の隣が生家で、長野県の史跡に指定されている。
三条木屋町の北西角, 高瀬川にかかる三条小橋の袂に "佐久間象山先生遭難之碑/大村益次郎卿遭難之碑" という石が建っていて, 長い間それがそうなのだと思い込んでいた。
(←私を含め多くの人がだまされてしまっている)しかし, よく見ると左下に "北へ約壱丁" とある。
(実際は300m強=三丁)つまり三条のものは, ここにある実物の石碑への案内の道標なのである。
結構立派な石標なので, 実物だと勘違いしてもしょうがないレベル。
しかし, ここにある実物の石碑は佐久間・大村, どちらのものもいずれ劣らず, その石標を遥かに上回るレベルの立派なものなのです。
-(...が, 高瀬川対岸の近付けない場所にあり, あらかじめ知った上で行かないと普通は通り過ぎてしまうでしょうね😅)(2017.7.17現在, このポイントが誤って移動されていました. 実際の場所は木屋町御池の交差点から北へ60mほど上がったところです)
「大政奉還150年幕末維新を歩こう」佐久間象山生年月日:1811年3月22日出身地:長野県死没:1864年8月12日 (53歳)佐久間 象山は、江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。
松代三山の一人。
通称は修理、諱は国忠、のちに啓、字は子迪、後に子明と称した。
位階は贈正四位。
象山神社の祭神。
象山神社の隣が生家で、長野県の史跡に指定されている。
ほぼ同じ場所とは奇なり。
見過ごしてしまいそうですけど、見つけてくださいね。
凄く立派で見た事がない石碑✨✨✨✨
名前 |
佐久間象山・大村益次郎遭難之碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=9&tourism_id=172 |
評価 |
3.8 |
ひっそりとあります。