意外と簡単に行けることを発見。
岩倉具視が幽棲した邸宅ですその時の建物と、資料・遺品が展示されている文庫があります専用の駐車場も離れたところにあるようでした大河ドラマの「青天を衝け」で岩倉具視を大久保利通が訪ねて来るシーンがありましたが、こんな市内から離れたとこへやって来たのかと感慨深いものがありました。
コロナの影響で現在は事前予約制となっています。
岩倉具視は公武合体を押し進めた結果、攘夷派に目をつけられ洛中追放の憂き目に合い、ほとぼりが冷めるまでこの地でおよそ5年隠遁しました。
母屋は実相院お抱え大工の住まいを買い上げ、後に客間を増設したそうです。
大河ドラマ『青天を衝け』第23回、京で失脚しこの地に逃れた岩倉具視は倒幕へ転じ、薩長を中心とした新政府樹立へ向け、この旧宅で着々と準備を進めました。
茅葺き屋根の小さな建物。
大きな大正ガラス越しの庭は小さいけど季節を感じます。
こじんまりした場所でしたが綺麗に保存されておりここに岩倉具視が居たのかと思うと感慨深いですコロナ禍なので予約制になっていますガイドさんが一生懸命に説明して下さいます。
解説が30分毎にあり、縁側で雰囲気を楽しみながら聞くことができます。
ネット予約をして拝観させて頂きました。
幕末の約15年間に色々な志士たちが訪れた場所にいられる幸せ、良い経験をさせてもらいました。
無料ガイドさんの説明がとても素晴らしかったです!また感染対策にも力をいれていると思いました。
色々イベントもされてるようなのでいつか行きたいなと思いました!
明治の元勲、岩倉具視が失脚中に隠棲してしていた家が岩倉にあり、意外と簡単に行けることを発見。
京都駅から地下鉄烏丸線で北の終点、国際会議場下車、岩倉実相院行きの京都バスに乗って終点で降りる。
数メートル戻ったところにある案内板、または最初の交差点にある標識に従うと5分位で到着。
三角のかやぶき屋根に驚かされますが、明治の初めには普通だったんだな、と思うと納得。
門をくぐって玄関から部屋に入り、軒下の廊下に敷いてある座布団に座って過去150年の歴史を思いやり、今後の世界のことなどに思いを巡らせ沈思黙考すると、日常の雑念が払われて自分を取り戻すことができます。
座敷の中から見た庭の景色も素晴らしく、今まで来なかったことが悔やまれます。
できればお天気の良い日を選んで少なくとも30分以上かけてゆっくりと景色を味わいたい場所です。
当時の火消し器や、台所なども見ることができて日本の原点に思いを馳せることができました。
幕末の動乱期に何を考え住んでいたのか思いをはせる事が出来てとても良かった。
遠かった。
小ぢんまりした家は手入れが良くガイドさんが説明していたが興味無かったので早々に退席しました。
この人は諸葛亮とは違う隠棲者だな。
此処から王政復古が始まったのかと思うと、感慨深いものがあるけど、座敷の総てを解放しているわけでは無い。
建物事態はごく普通。
とても静かで落ち着くところです。
周りの環境も静かでホッとできる空間です。
暑いでも、落ち着く涼しくなったら、またきたいな。
旧宅は、大河ドラマとはえらい違う。
ちゃんとした家だった。
障子のガラス窓がなかなかいい。
倉のようなレンガ倉庫のようなかわいらしい文庫のなかは温度が低く、資料を見るのに最適だった。
猫が自由に出入りしている様がかわいらしかった。
岩倉具視を余り知らないし 幽棲宅ということで歴史的記念物ぐらいの気持ちでいました。
小規模ですが大切に手入れされ守られてきたのがわかります。
ガイドの人の熱い説明。
歴史的なことから建物のこと庭木のこと‥150年前岩倉具視が植えた松が大きく育っていました。
東京で偉くなっても京都に来た時は村人と集い感謝の思いを持ち続けたという岩倉具視の知らなかった一面を知り 松の見事な枝ぶりに 大切にしてきた人たちの岩倉具視に対する親しみの情を感じました。
馬酔木の盛りの季節に訪れましたが もみじの隠れた名所だそうで 秋にもきたいと思いました。
縁側で座布団 静かなお庭 という贅沢。
京都に住んでいる人でも行ったことの無い人は多いのではないでしょうか。
岩倉具視についてゆっくりお話しを聞くことが出来てよいです。
岩倉の町自体が落ち着いていて気に入りました。
都を追われた岩倉具視が一時身を隠した住まい。
坂本龍馬などの偉人たちの訪問用の建物と、本人が炊事もして生活していた居住部分に分かれている。
庭の眺めが心を落ち着ける。
資料館もある。
幕末の混乱期に興味のある方は是非。
③大政奉還150年 幕末維新を見よう!正しく、隠れた史跡ですね、入口から見た家は小さく見えましたが、どうして立派な家です。
俺等多くの名所旧跡の建物を見聞して来ましたが、休憩室にはお茶・コーヒーの接待を受けてるのは初めてですね。
又70才以上無料です^_^京都・洛北の実相院近く(現・京都市左京区岩倉上蔵(あぐら)町)にあり、今は住宅や病院に囲まれている。
数えの38歳で辞官・落飾した岩倉具視は地元の大工から古家を譲り受け、文久2年(1862年)9月から慶応3年(1867年)11月までの5年余り住んだ。
幽居中とはいえ活発に政治活動を続けた岩倉はここでも浪士らにつけ狙われた。
建物は質素な平屋建て二棟で、うち南側(表側)の1棟は移住後の元治元年(1864年)に、増加する来客に対応するため増築したもの。
具視死去後の明治35年(1902年)に、移住当初から建っていた北側の棟の屋根の一部が茅葺きから瓦葺きに改築されたがほぼ当時のまま残され、その後昭和7年(1932年)に国の史跡に指定されている。
名前 |
岩倉具視幽棲旧宅 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-781-7984 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
歴史に詳しくなくてもガイドの方が非常に詳しく丁寧に教えてくださいます。
当時の一流庭師が作った美しい庭と、茅葺屋根の落ち着いた邸宅は雰囲気抜群です!