新興住宅地の 中にあって 少し見つけにくかった。
立札によると、祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后とのことです。
創建は、清和天皇の貞観四年(西暦862年)、武内宿禰の子孫である紀古道という人が、関東の守護を命じられて下向するにあたり、男山八幡宮の分霊を勧進し、この地に創建されたものであるとのことです。
社頭が東に面しているのは、このいわれを示しているものだそうです。
宮山小学校時代に遠足が中止になるとここでクラス皆でお弁当食べました今でもやってるのかな。
山麓にあって 周囲には何もないと思っていたが、 新興住宅地の 中にあって 少し見つけにくかった。
境内もそこそこ広く、 太い巨木が突っ立っており、本殿もなかなか立派。
本格的な神社と言うべきものだ。
落ち着いた凛とした空間だね。
以前はお城だったそう。
小栗栖は、古くは小栗郷と呼ばれ北と南の村より構成されていました。
栗栖(くるす)とは古代の大和言葉で「屋根状の丘」の意味を表している。
山科も昔は山階と書き、階は起伏のある土地を意味している。
よって山科から小栗栖辺りまでの土地は起伏があり平で無い事が判る。
現に小栗栖には岩ヶ淵、牛ヶ淵、森ヶ淵、などの淵が付く地名が残っています。
南小栗栖の古道を行くと、三差路の角に八幡宮が建っている。
高台にあるので醍醐、石田辺りが一望出来ており、昔は景勝の地であっただろう。
この八幡宮は清和天皇の時代貞観4年(864年)9月22日、武内宿禰の末裔、紀古道が男山八幡宮より奉遷したと伝わっている。
紀氏は紀伊国(和歌山)を支配した古代の一族で、代々日前神宮・國懸神宮の祭祀を今なお受け継いでいる古い家系である。
明智薮に行った時に寄りたいですね!
名前 |
小栗栖八幡宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
無人の神社でしたけど、歴史ある神社です。