名前 |
くらわんか舟発祥地碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
江戸時代、淀川は経済の中心地・大坂と都・京都を結び、さらに琵琶湖を経て東海や北陸地方とも通じる、物流の大動脈でした。
大坂・伏見間の旅客専用船・淀川三十石船をはじめ、淀船・伏見船・過書船などの貨物船が、人々の生活と経済活動を支えていたのです。
それら淀川を往来する船に酒や食べ物を売る小舟(煮売茶船)を、くらわんか舟といいました。
発祥地は柱本、関が原の戦い以後、徳川軍の物資補給に協力し、幕府から営業特権を与えられたといわれています。
「食らわんか、くらわんか」と呼びながら三十石船に漕ぎ寄せるさまは、当時の小説や浮世絵にも登場。
広く知られた東海道の名物でした。
現在、柱本浜のあったあたりの淀川堤防には、発祥の地碑が建てられ、往時をしのぶよすがとなっています。