私にとってはとてもご利益のある神様です。
八幡橋八幡神社(滝頭八幡神社) / / / .
(2023年1月)あまり目立たない神社ですが、いい雰囲気です。
また、赤影の卍党編に出てくるような球体の謎に充ちた記念碑が素晴らしい。
町の小さな神社ではありますが、昔の地形から察するに海岸線沿いの神社で風光明媚だったのでは無いかと思います。
説明が無かったのですがあの丸い物体は一旦何だったんだろうか。
神奈川県横浜市磯子区原町に鎮座する八幡橋八幡神社(滝頭八幡神社)の直書き御朱印を頂きました。
創建は543年(欽明天皇4年)8月創建。
すっごい古い。
滝頭八幡神社と同じ霊を祀り上げる根岸八幡神社御縁起によると……根岸の沖合の根岸湾で黄金色の光が輝き音楽を奏でるような音が響き渡った。
それが7日間続いたのち、八幡川(現在の堀割川)河口近くの浜に光明と妙音が着岸して黒光りする像が姿を現した。
村の古老は「これは村を守るために遠い海から来た神様だ」と言い、ひとまず村の長の家に安置することとした。
村の人々は代わる代わる像を拝みに来たが、その中の子どもが取りつかれたように「我は正八幡なり。
里民の苦難を救うため千里の浪を漂って来た。
着岸した芝原に社を建てて遷すべし」と言い終わると正気を取り戻した。
こうして現在の八幡橋八幡神社の位置に八幡宮が建てられ、根岸村の鎮守神としてお祀りされることとなった。
そして1651年、検地によりこの八幡神社を含む現在の原町一帯が滝頭村に編入された。
これにより鎮守の社を失った形となった根岸村の住民は、白滝不動尊を鎮守としてお祀りするようになったが、滝頭村の住民にとってはこの八幡神社は元々自分達が信仰してきた鎮守ではなかった為、結局祭礼などもおざなりに行った。
1766年(明和3年)、住職の弘道の夢枕に八幡大菩薩が現れ、「我は根岸村民のもとに遷座したい。
滝頭村と根岸村の二つの神社に分けてもらいたい」とのお告げがあった。
弘道は両村の役人と話し合い、八幡神社を根岸村に移し、当地には新たな八幡神社を創設することとした。
同年4月、それまでの八幡神社(根岸八幡神社)は宝積寺に仮遷宮。
その跡地に、改めて滝頭八幡大神が建立された。
それから後は、神社の横を流れる掘割川の拡張及び中村川との接続工事により境内が大きく削られたり等あったが現在も同地で信仰されている。
因みに話に出てきた根岸八幡神社、実は800メートルくらいしか離れていない。
そんな距離なら鎮守がどうとか気にする事は無いだろ〜…と現代人の我々なら考えるけど、それだけ「境界」が「境界」として、行政的機能だけでなく、有機的機能を果たしていたのがよく分かる話。
境内には大きな丸いボール状の物がお祀りされているんだけど特に説明が無い。
あとで調べたら、周辺の漁民が奉納したブイなんだそうな。
御朱印は境内表側から入って左手の社務所で授与しておられます。
最寄り駅は京浜東北線(根岸線)の根岸駅です。
優しい雰囲気がする神社。
磯子区に鎮座する氏神さまの1つです。
謎の球体があります。
戦時中の機雷の残骸という説もありますが、詳細は不明です。
地元民の心の拠懐かしさもある夏のお祭りは子どもたちが楽しみにしていますいつまでも見守っていてください。
地域との連携が深い。
名前は八幡橋でなく滝頭が正しい。
八幡橋は明治初期完成、元々滝頭村だった。
横濱開港神社巡りの一社です。
謎の球体!ブイみたいな感じの色で海に近いからなのか?今度伺ってみます。
大通り沿いに鎮座していますが、境内は、喧騒を感じさせない、雰囲気のある神社でした。
2020年4月 小さな小さな神社ですが、荘厳な社殿でした。
徒歩で来るには遠く、バスか車でないと辛いかな。
駐車場は無いと思う。
道路を挟んだ向かい側にコインパーキングがありますが、一方向にしか行けないので勝手が悪い。
地域に親しまれた神社なので、そこまでして来るような人は居ないと思うが。
境内も広く神聖な雰囲気があります。
石碑や立派な樹木もあり気持ちが落ち着く場所です。
根岸 八幡橋に鎮座する八幡神社謎の球体が印象店な境内。
昭和天皇即位の記念碑として地元の漁師の皆様が奉納したという説があり。
拝殿には十二支の彫刻。
狛犬の表情が豊かです。
御朱印は社務所にて頂戴することができます。
神聖な神々しい空間でオススメです!
川沿いにある八幡橋 八幡神社。
雰囲気も良く、落ち着くところです。
しかし、疑問に思う事もあります。
社殿向かって左側に大きなケヤキの木に寄り添うようにデンと「大きな球」が仁王立ちしています。
実際に目にすると、不思議なモノで不気味なほどの存在感があります。
「何でこんなものがここにあるのか?」と皆、思うでしょう。
周りに何の説明も書かれておらず。
中央のプレートには「御大典記念」という文字とともに、第10代横浜市長・有吉忠一の名前が彫られているだけです。
その後調べたら、碑そのものは、昭和天皇の即位を記念して有志から贈られたものだそうで、したがって昭和初期に建てられたものだろうとのこと。
ちなみに、昭和天皇が即位の大礼を挙行したのは1928(昭和3)年のことです。
球の正体については、記録が残っておらず把握出来ませんでした。
正面以外にも、何枚も石碑が付けられていて有志と思われる名前が沢山彫られています。
しかし、どれも興味深いのですが天皇陛下とは関係が薄いものばかりで謎が謎を呼ぶといった感じです。
なぜなら、有志の名前が入ってはいるが、県や市が直接関与したというよりも、一般の有志が造った記念碑により、依頼を受けて一筆入れただけではないかという事です。
それなので、この記念碑に対しての記載が無い様です。
昭和初期という、歴史的に見ればそれほど古いものではないのに、正体のつかめない不思議な球体でその姿形と相まって、なんともミステリアスな存在です。
神社自体良い所ですが、不思議なモニュメントもあるので皆様も見に行ったらどうでしょうか。
私にとってはとてもご利益のある神様です。
Goodatmosphere
華美さはないが、威厳を感じます。
Not so gorgeous, but we feel some kinds of dignity.
横浜市内で延喜式内社の杉山神社を除いて最古級の歴史を持つ式外社。
境内も比較的広い。
延喜年間には既に存在していた古社で主祭神が八幡台菩薩である事、海に近在している事から、海上交通や治水の神様として古代は機能していた事が容易に推測され、京都の石清水八幡宮とも存在意義も似ている。
江戸時代に氷川神社や東照大権現が合祀され名前も八幡宮に改められたとされるが、奈良時代以前の弥生~古墳時代の古代の神社は水神として素戔嗚尊やその神子の五十猛神を祀るのが歴史事実なので、当初は氷川神社だったのではないかとも推測出来る。
尚、横浜市内唯一の延喜式内社である緑区西八朔の杉山神社の主祭神は五十猛なので、奈良時代以前から存続している神社ならば素戔嗚尊が当初の主祭神と考えるのが自然。
近郊の六角橋の宝秀寺や杉田の牛頭山妙法寺は日本武尊神話が伝承する土地なので、神奈川県下の多くの延喜式内社同様に日本武尊と関連が有った可能性も有る。
尚、日本武尊は三浦半島走水滞在中に素戔嗚尊を守護神として祀っており、現在も走水神社の奥宮に須賀神社がまつられている。
きれいな光が撮影。
星3つは正直多いかと思う神社でしたが、2つは厳しいかと思う神社でした。
名前 |
八幡橋八幡神社(滝頭八幡神社) |
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ジャンル |
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電話番号 |
045-751-5867 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 8:30~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
掘割川左岸の昔の河口付近にある神社、入口鳥居付近には東郷平八郎書の大きな板碑があり、境内には大きな欅や楠があり歴史を感じさせる。