上土室2 全長86.4mの前方後円墳。
闘鶏野(つげの)神社 / / / .
住宅地を通り抜けて、高速道路を越えるために付けられた、天に登るかのような階段の先にあります。
振り返ると、高槻市を眼下に見下ろす絶景ポイントです。
御百度参りの石が置かれていますが、階段の下になくてよかったったって感じですね。
闘鶏と書いて、ツゲって読むそうです。
ニワトリの鳴き声が、天のお告げだからだとか。
境内にニワトリはいません。
オカリナを吹く練習をされている人はいました。
眺めが良くて素敵な場所です。
この先の別の神社とセットで参詣されると良いでしょう。
参道から高速道路を見下ろせるのが珍しく、子供も喜ぶのでよく連れてきます。
また、参道からは高槻市が一望できなかなかの景色です。
私は、地元の阿武野幼稚園・小学校を卒業しており、1963年に「名神高速道路」栗東ー尼崎間の開通したおり、阿武野幼稚園から通る自動車の見学に連れられて行きました。
また、参道の両側には、大きな椎の木が生えていて、小学校の図画工作に使うドングリ拾いに連れられて行ったものでした。
記憶では、参道の階段は、地山の斜面に。
子供の頭くらいの大きさの石を土止めに用いてつくられて緩やかでした。
今は、側道となってしまっていますが、その辺りには左側(西)に赤い鳥居の「稲荷神社」がありました。
もう少し昇ると東側から自動車で上がれる道がありました。
その辺りには、コンクリートの壁が少し残っている「廃屋」がありました。
そこから、コンクリート製の階段を数段あがったところから、幅が2mくらいの陸橋がつながっていました。
今は朱塗りの欄干がありますが、当時は、子供の私がのぞき込めるような高さの手すりがあっただけでした。
私たちが、名神高速道路を通るトラックのドライバーに歓声を上げて、大きく手を振ると、ドライバーたちはフロントガラス越しに手を振ってくれたものでした。
(のちに、高い白いペンキを塗った金網のフェンスがつけられて、かごの中にいるような状態になってしまい。
自動車を見に行くようなことはなくなりました。
)「闘鶏野神社」は、1964年当時、コンクリート造りの拝殿・本殿の神社となっておりました。
それは、高速道路工事のため数十m場所を北方に遷座させられ、その移転費用で建て替えられたものと思われます。
1998年の6車線化工事で、再度、(上り車線上から)遷座させられたので、参道階段、陸橋とともに改築され、現在(2021年3月)の姿となっています。
また、「闘鶏野神社」は、明治時代までは、南の平地に鎮座していたものと思われます。
阿武野地区大字・小字図に小字「闘鶏ノ」となっているのを見ました。
その地図によると、現在、大阪府立阿武野高校の敷地の北あたりから北のバス道まで字「闘鶏ノ」となっていました。
南の池から高校の敷地にかけての字は「宮前」、高校の西門辺りから北は「宮西」とあり、そこに間違いないでしょう。
※1.「土室八幡大神宮」との関係:以前の案内看板(市教育委員会の設置)に祭神は「誉田別命」ですが、「土室八幡大神宮」は、土室の鎮守です。
地図を確認すれば、旧土室村の北に「八幡大神宮」が位置することからもわかります。
※2.「闘鶏山古墳」:未盗掘の石室が発見されて、一躍脚光を浴びた「闘鶏山古墳」ですが、大字氷室、字「闘鶏山」にあります。
岡本山古墳の系統とは、別の有力豪族が独立して、西之原古墳、番山古墳、二子山古墳、石山古墳と系譜を繋いだもの思われます。
※3.「闘鶏野」について:「ツゲノ」の「ツゲ」を「日本書紀」の記述から、奈良県の「柘植」「都祁」と関連付けた解説があるようですが、確証はありません。
「氷室」の話もあるので、結びつけられたのかもしれません。
字「闘鶏ノ」に存在した古墳の石室を指しているのかもしれません。
隣接の「はにわ工場跡(新池遺跡)」は、のちに新羅系(百済系?)の渡来人が移り住んだことから、朝鮮半島の「朝」や「東」を尊ぶ風習から「(政務を執る)聖なる朝を告げる雄鶏」を意味しているのかもしれません。
※4.「野」について「闘鶏野」や「阿武野」「藍野」の「ノ(野)」は、水の便が悪く、耕作できずに、染料となる「藍草」、萱(スガ)やススキの類や雑木の生える荒地を意味します。
氷室の田畑の広がっている所は、北西の土室から、南東に向かってなだらかに傾斜する「女瀬川」と「土室川」の扇状地です。
メインの「女瀬川」は流れが速く、阿武野小学校の東側の井堰(現在は埋められている)から取り入れた用水が潤す面積は狭いものでした。
「土室川」を西端に流れを移して真っ直ぐ南流させて農地を確保して水路網を築くまでは荒地であったものと思われます。
高速道路を渡って本堂がある雰囲気が何故か、格好良いんです。
平日だったので、人はいませんでした。
参拝もゆっくり出来ました。
ただ、歩きでしか難しい場所ですね。
名神高速の上に架かる橋が参道。
高速道路沿いにアプローチを試みるとあるはずの道が無いという錯覚に陥ります。
実は上にある高架橋が参道に。
本神社へのアクセスは、この高架橋の地上に舞い降りる位置を目指しましょう。
高速道路を、車が高速に走っているので気をつけて参道を、歩きましょう。
怖い場合には、高速道路の北側で西側から高速道路沿いに行けば、境内に直接辿り着けます。
高い場所にあるので、景色がきれい。
名神高速のそばにあり、行き方がややわかりにくいが、高所にあり大阪市の高層ビルも見えきれいな神社です。
綺麗ですが前が名神高速道路なので車の騒音が少し気になります。
歴史のある地元の氏神様である。
闘鶏野を「つげの」とは普通には読めない。
そして、お参りするには名神の上を横切るとは!
参道が名神高速道路の歩道橋という珍しい神社です。
闘鶏山古墳のアクセスのため立ち寄りましたが、古墳は閉鎖されているようです。
名神高速を作る為参道が高速をまたいであります。
神社の裏は前方後円墳があります。
一度行かれては 徒歩で❗️
陵墓らしき麓にある神社。
何やら狩場だったらしい。
小此木を見ると男の神さんのようだ。
弁天宗まで🚴で🌸を見に行った帰り、行きとは違う道ということで、名神高速を横に見ながら高槻方面へ走っていて偶然見つけた神社。
「この先行き止まり」の看板を無視して坂を上り切ったところにあった。
神社の案内らしきものは何も無かったのでこちらは完全な裏道か?驚いたことに正式な参道は名神高速道路の上に高架の歩道橋になっている。
これ神社の為だけのものなのだろうか。
初めて見たロケーションだ。
不便な地の神社にもかかわらず拝殿、本殿が実に立派。
私がいた数分の間に三人の人がお参りしていた。
決して寂れた神社ではなさそう。
高架橋を渡り長い階段を自転車を抱えて降りると、「観音寺跡」という史跡公園があった。
大晦日は賑わうが、普段は静かな地元の氏神さま。
『日本書紀』にでてくる地、天照、応神、天児屋根を祀る。
社殿後方は闘鶏野古墳があり、なかなか趣があります。
本殿の裏にいる狛犬さん達が味があっていい感じ。
名神高速にかかる陸橋が参道なのが珍しいです。
名神高速道路の上を参道が通る。
以下、解説板より。
「闘鶏野神社は、天照皇大神、応神天皇、天児屋根命を祭神とする。
創建の年月日は不詳であるが、もとは八幡大神宮と称し、氷室の氏神として崇敬を集めたという。
闘鶏野は、仁徳天皇62年頃、額田大中彦皇子の猟場であったといわれ、奈良県の闘鶏野などとともに、記・紀の「氷室(ひむろ)」発見伝承に基づく。
また 闘鶏を「ツゲ」と読むのは、鶏鳴が神託を「告げる」ことに由来するという。
ここより北の丘陵には南面した前方後円墳があり闘鶏山古墳と呼ばれている。
」
地元の氏神様です。
大晦日から元旦にかけて行列が出来ます。
ファッ!名神高速道路の上に参道があるでぇ、このお百度石含む参道は一見の価値有やな。
けど、境内は静かで新しく奇麗に掃除されている。
闘鶏野神社・闘鶏山古墳 (つげのじんじゃ・つげやまこふん)高槻市氷室町6、上土室2全長86.4mの前方後円墳。
平成14年の確認調査によって後円部から未盗掘の竪穴式石室2基が発見され話題となった。
石室内部のファイバースコープ調査では三角縁神獣鏡や石製の腕飾り、木棺の一部などが確認され、4世紀前半の三島の王墓と考えられている。
名前 |
闘鶏野(つげの)神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-622-4815 |
住所 |
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関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai2shibu/takatsuki-city/02065tsugenojinja.html |
評価 |
3.8 |
名神高速道路を跨いで参拝できるのがびっくり。
富田の町並みが見渡せます。