この場所がアメリカ軍の機銃掃射によって民間人が虐殺...
平和地蔵尊 爆撃犠牲者之精霊 千人つか / / .
昭和20年(1945)6月7日の米軍による大阪空襲は莫大な被害をもたらしました。
その戦死者数万人のうち、身元がわからない千数百人の遺体をこの辺りに集め、疎開家屋の木材を使用して火葬しました。
その様子は黒煙が天に昇り、三日三晩に及んだと言われています。
いつも、新しい花が、たえずそなえられています。
わんどのながめが、かなしいです。
空襲のあった6月、城北公園には、菖蒲園の花菖蒲が、咲き競います。
訪れるみなさんに、堤上の千人塚を思いだしていただきたい。
この場所がアメリカ軍の機銃掃射によって民間人が虐殺された場所と言うのを数年前に知りました。
昭和20年の大阪大空襲で、市内いたるところに身元不明の遺体が多数放置されていました。
それらの遺体は、市民奉仕で城北公園裏の淀川の堤に集められ、千数百体の遺体がだびに付されました。
「鬼哭啾々 黒煙天に柱し、三日三晩に及ぶ」といわれて、その冥福を祈って区民の方が庭石に「千人つか」と刻んで安置されました。
第三次大阪大空襲の犠牲者を火葬した場所この場所から眺められる淀川の景色は良い。
1945年6月7日。
マリアナ基地を飛び立った第20航空軍のB29、449機、及び硫黄島基地から発進したP51戦闘機138機は日本を目指した。
目標は大阪。
内B29、409機とP51のほとんどが大阪上空に姿を現した。
世に言う第三次大阪大空襲である。
彼らは巧みに時間差攻撃を仕掛けた。
特に狙われたのは前回撃ち漏らした北大阪一体。
今の都島区、旭区、大淀、東淀川、豊中辺りだ。
焼夷弾攻撃で炙りだされた人々は淀川河川敷に集まってきた。
そこをP51戦闘機が老若男女、女学生子供など見境なしに容赦なく機銃を撃ち込んできた。
飛び散る血しぶき、辺りは阿鼻叫喚だったろう。
地獄の惨状といっても言葉は足らない。
この日の犠牲者は2759名。
なぜここまでの皆殺し攻撃をしたのだろうか。
戦後判明したのは、彼ら戦闘機パイロットが異常なほどの日本人憎しの気持ちを持っていたからだった。
その復讐心が、ついにこの日爆発してしまった。
今、千人塚のある淀川河川敷は平和で美しい公園だ。
淀の流れは絵も言われず素晴らしい。
しかし70年以上もの昔、ここはもっとも激しく血塗られた「戦場」のひとつだった。
千人塚の前は青く澄んだ空の下、風が爽やかに流れていた。
大阪空襲の犠牲者を火葬にした場所と聞いています。
(千人つかとなっていますが、千人づかと言っています)スーパー堤防になっています。
名前 |
平和地蔵尊 爆撃犠牲者之精霊 千人つか |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.4 |
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長い間大阪に住んでながらここは知りませんでした。
もっと知らせるべきでわ?