歴史を感じる大将軍社参拝。
大将軍社の特徴
大将軍社は、八衢比古神や八衢比売神を祀る神社です。
大阪天満宮の創建よりも古い650年の歴史があります。
菅原道真公が大宰府へ向かう前に参拝した神社です。
大将軍社祭神は八衢比古神(やちまたひこのかみ)、八衢比売神(やちまたひめのかみ)、意冨加牟豆美神(おおかむづみのかみ)、久那斗神(くなどのかみ)。
難波長柄豊崎宮の陰陽道による西北の鎮めとして建立。
2024.06.19.(水)参拝。
普段はあまり気になりませんが大将軍社前の木が大雨の中昇り龍として生き生きしているような登龍門の向かいにあります。
運気上昇(≧∇≦)b
大阪天満宮、始まりの神社っすね。
大阪天満宮の境内の西北にあり、天満宮よりも250年も前の白雉3年(650年)に創建されたと伝えられています。
菅原道真が太宰府に左遷された昌泰4年(901年)、ここに参拝したという由来があるため、大阪天満宮が天暦3年(949年)に創建されたといいます。
京都には四方を守るため四ヵ所ある大将軍社、大阪にも有るんですね🎵
行きましたよ‼️😀古い神社の様ですね👍いい神社です😋
菅原道真が太宰府へ行く前に参拝したと言われる神社。
その縁で、のちに天満宮が当地に建立されたということなので、もともとこの地にあった神社はこちら、ということになる。
菅原道真公が大宰府に向かう前に参拝したという大将軍社は、境内の西北に鎮座しています。
天満宮の御鎮座よりも250年遡った650年に創建されています。
大将軍社があった場所に、大阪天満宮が創建されたことになります。
現在では、摂社として祀られており、大阪天満宮では元日の歳旦祭の前に、大将軍社にて「拂暁祭(ふつぎょうさい)」というお祭りを行い、神事の中で「租(そ)」と言ういわゆる借地料をお納めする習わしになっております。
全国の神社にもある大将軍神社のひとつになります。
1000年の歴史を感じます❗
(18/08/22)参拝しました。
御祭神 八衢比古神(やちまたひこのかみ) 八衢比売神(やちまたひめのかみ) 久那斗神(くなどのかみ)大阪天満宮の境内摂社。
梅の木もありお茶屋もあるのでのんびり出来ます。
天満宮創建以前もともと、この場所には「大将軍社」という神社が祀られていました。
菅原道真公が左遷人事により福岡の大宰府に向かう旅の途中で、この大将軍社に参拝。
旅の無事を祈願されたという。
菅原道真公が大宰府に向かう前に参拝したと伝えられている。
天満宮の鎮座より古い創建とされる。
猿回しもたまにやっています。
天満宮の左側天神さんのおいたちがわかる展示館の直ぐ前です。
たまたま公開録音していました。
八衢比古神、八衢比売神、意冨加牟豆美神、久那斗神を祀る。
当宮地主神として孝徳天皇の御代豊碕皇居の四方に鎮護神として奉祀せらる。
現地名南森町は住吉大将軍の森と称せられた。
菅原道真が大宰府に向かう前に参拝した大将軍社。
その社に道真公を祀ったのが大阪天満宮の始まりだそうです。
901年菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転(左遷)させられた際、ここ大将軍社に参詣した。
903年菅原道真が没した後、天神信仰が始まり、949年に大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。
そのため村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのがここ大阪天満宮の始まりである。
名前 |
大将軍社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6353-0025 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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大将軍社は方位神を祀る神社で、王城鎮護を目的として建立されます。
こちらの大将軍社は難波宮(645-793)の西北を護るとされており650年に創建。
祭神は、八衢比古神・八衢比売神・意富加牟豆美神・久奈斗神で、このうち意富加牟豆美神以外の三柱は塞神(道祖神、岐の神)で、まさしく邪鬼を交通整理(=コロナ禍における県境またぎ制限に類似)するもので道饗祭斉行においてお祀りされます。
一方、意富加牟豆美神は「桃の実」であり、桃の実を投げつけることによって鬼や雷神を退散させたという日本書紀にみられる記述に基づくもの。
中国では桃は呪力をもち、道教では不老長寿の仙果ですが、五行説によれば「桃」は「五果」のうち「金」に、「雷」は「八卦」の「木」に配当されるので、「金剋木」という「相剋」関係に基づいて、桃が火雷神を退散させるという効力をもつとされています。
後の949年に同地に創建される大阪天満宮の祭神である菅原道真は、讒言によって憤死に至り、次第に火雷神と習合してゆくわけですが、このあたりが意富加牟豆美神の存在と重なってきているように思われ、たいへん興味深いところです。