なんとも無い所にも跡地が、歴史を感じます。
明治3年、五代友厚の懇望をうけた本木昌造(もときしょうぞう)が設計創設した活版所跡で、大阪の近代印刷はここからはじまったといえる。
昌造は、幕末長崎のオランダ通詞(通訳)で、職業がら洋書に広く接し、外国に遅れをとるわが国の印刷術の現状(木版印刷)を憂い、種々文献により研究をつづけた。
その苦心の結果、ついに鉛の流し込みによるわが国最初の活字の鋳造に成功した(嘉永4年、1851)。
昌造はその後、大阪最初の鉄橋高麗橋の架橋にも加わるなどいろいろの事業にたずさわったが、常に活版を忘れず、活版伝習所をつくり、1日も早くその技術を全国に普及しようと努力をつづけた。
明治8年没。
52歳。
明治三年三月 五代友厚の懇望を受けた本木昌造の設計により この地に活版所が創設された 大阪の近代印刷は ここに始まり文化の向上に大きな役割を果たした。
名前 |
大阪活版所跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
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なんとも無い所にも跡地が、歴史を感じます。