こんな所に神社があるのを最近知りました。
桜が咲く時期になると、夜はライトアップされてとても良い感じになります。
おすすめです。
桜の時期は、ライトアップが凄くきれいで、夏は夏祭りもやっています✨地元の神社って感じです(*´艸`)
御祭神:武甕槌大神/大国主大神/孝元天皇/菅原道真公/赤留姫命当社の始まりは崇神天皇6年、国造館に奉斎する国平大神と建甕槌命を同床共殿に祭るのは畏れ多いと考え、別殿を造営して奉斎せよとの詔が下り、建甕槌命を「楯之御前神社」、国平の鉾を「鉾之御前神社」と称して鎮斎し、同7年9月2日に鎮座祭を行いました。
上記の5柱が御祭神ですが、歴史を経て数度の合祀を経ており、資料による異同が多く議論が交わされています。
拝:2021/10/11
初めて さくら見学して参りましたが 有名な神社なのですが 忘れました 静かで桜は 6本ほどありました。
夜桜ライトアップされていてとても幻想的な空間が、広がっています。
散歩がてらお参りされ体感されてはどうでしょうか、きっとご利益あると思いますよ。
写真と動画アップしておきましたのでお参りの参考にして頂けたら幸いです。
延喜式神名帳の摂津国住吉郡の項に楯原神社と記載のある式内社。
現在の御祭神は武甕槌大神・大国主大神・孝元天皇・菅原道真・赤留姫命の五柱だが、当初は一座。
住吉郡には式内社の赤留比賣命神社の記載があるが、その論社は杭全神社の飛地境内社である赤留比賣命神社となっている。
一方、当社も論社とする説があるが、平野郷にある赤留比賣命神社より勧請したものだという説もある。
・社伝によると、崇神天皇の御代、大々杼命は十握剣を建甕槌命の御霊として楯之御前に、国平の桙を大国主命の御霊として鉾之御前社に祀ったのが創祀という。
その後、神功皇后が三韓征伐の際、当社を奉斎する大々杼名黒は当社のお告げを神功皇后に伝えたところ、戦に勝利したことから、楯之御前社と鉾之御前社に神籬を立てたという。
これが住吉大社に楯社(武甕槌命)と鉾社(経津主命)がある所以という。
・この大々杼命は名前からすると意富富杼王のことかもしれない。
当社は息長氏と住吉大社ととても深い関係にあった神社だったのだろう。
・さて、当社の境内には十種神宝社という社があって、これは石上神宮より持ち出された十種神宝を奉斎するという。
当社社伝によると、織田信長が石上神宮を焼き討ちした際に十種神宝は何者かが持ち出し保護していた。
それを聞いた秀吉が生魂の森というところに奉納したが、幕末に持ち出されてしまい、その後古物商の店頭に並んでいた。
それを買い求めて奉斎したのが十種神宝社だという。
#十種神宝。
古代ヤマト王権の成立に深くかかわった #物部氏 の氏神 #石上神宮の神拝詞(しんぱいし、のりと)のうち、十種祓詞(とくさのはらへのことば)で唱える神宝のこと #式内楯原神社 #神宝十種之宮 #三種の神器(検索:ものづくりとことだまの国、2021年1月16日)
ウォーキング中に偶然見つけました旧村の中の小さな神社。
境内には本殿のみで社務所からは声がしたが境内にはひっそりとして誰も居なかった兎に角お参りを済ませ此の場を後にした、真っ直ぐ北に登ると20分程で杭全神社に行ける‼️こんな所に鎮守神があったとは小さな発見しました☺️祭神は武甕槌大神と大国主大神だそうです‼️
この辺りは環濠集落の北西の角で鬼門に位置する場所です、つまり喜連村の環濠集落を守っていたんですね。
梵鐘が神社の境内にある事から、隣りのお寺と元はひとつだったのは想像出来ますね。
賑やかな喜連瓜破駅周辺の喧騒とは無縁の静けさです。
延喜式の河内国の式内社であろうかと思って探して見たが見つからず、摂津国の式内社でありました。
この近くに摂津と河内の境があるのですね。
御祭神 武甕槌大神、大国主大神で、赤留姫命もお祀りされています。
由緒 武甕槌大神は大国主大神の教えに従い、国平(クニムケ)の鉾を持って天下を巡行した後、この地に留まっていましたが、御孫大々杼命に「十握の剣を私の霊の代わりとして、また国平の鉾を大国主大神の霊代として斎き奉るように」と言い残して天昇り隠れました。
とあります。
神代の出来事に深く関わりのあるお宮です。
国平の鉾・十握の剣 かっこいいですね。
伝説の武器が出てきました。
もうどれかのゲームには使われているかな?
2020/01/05参拝隣接する如願寺が摂津西国三十三所、摂津八十八ヶ所の札所である為、その巡礼中に立ち寄りました。
神仏分離令を壁一枚で隔てる事で対処し寺社共に破壊される事なく今に至るまで、地元に住んで方々に愛され親しまれてきた寺社である事が伺い知れます。
春には桜が咲き乱れるようで、春にもう一度参拝したいと思います。
平野区の家々の中にある隠れた名神社。
この神社の裏に更に隠された神寳十種ノ宮,が在ります。この神社の言い伝えによると、十種神寳はココに今もあるそうです。夢とロマンが感じられる良い神社でした。
こんな所に神社があるのを最近知りました。
如願寺と一緒にお詣りしましたが、生憎お留守の様でした。
小さな神社ですが、神社の中は驚くぐらい空気が澄んで落ち着きます。
樹木が多いのもあるかも知れません。
桜の木が多く、春の桜景色は最高です。
温かい時期は虫除け必要。
ヤブ蚊が結構飛んでいます。
喜連西北端の旧字楯原(現喜連西1丁目)にあったが、兵火・台風などの被災で文明13年春現在地付近に移ったとされる。
延喜式(867)神名帳記載の古社。
明治以後の祭神は武甕槌大神と大国主大神。
平成23年大阪市文化財の指定を受けた奥殿の氏神天神社は大坂夏の陣後真っ先に再建された元和年間の築造で、喜連で最古の建物である。
明治37年環濠浚えの時広住塚前で発見された「息長眞若中媛」標柱が境内最奥に移されている。
昭和59年旧社地近辺の今川に古地名を顕彰して楯原橋(大阪市「歴史の橋」第1号)が架けられている。
◆― 天璽瑞宝十種(十種神宝) ―◆ 盾原神社の神宝饒速日尊が天照大神から大和建国の命を受けた時に拝受したもの。
饒速日尊の死後 遺児の宇摩志麻遅命が継承したが、神武東征を受けて官軍に下り献上された。
崇神天皇7年、子孫の伊香色雄命に返還され依頼、石上神宮で祀られていたが、幕末に暴徒の襲撃を受けた際に略奪された。
のちに町の古道具屋で発見され人手を伝ってこの神社に献上されたという。
左右の桜が参道を屋根のように包みます。
名前 |
式内楯原神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
06-6709-0232 |
住所 |
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関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai9shibu/hirano-ku/t115.html |
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ
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旧喜連村の産土神。
渡来人が多く居住していた土地柄もあり、祭神には赤留比売命もおられます(元々は龍王社)。
神功皇后が楯の御前社に参拝した際に、楯の御前社を楯原神宮に改名した時から、現在の名前になったのだそうです。
隣のお寺と境内が繋がっているのは、かつての神仏習合の名残かもしれません。