名前 |
金剛輪寺址 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.7 |
以下、解説板より。
「杜本神社の神宮寺として創建されたもので、寺伝では聖徳太子のときと伝えられているが、実際は奈良朝の後期であろう。
別名で近飛鳥寺(ちかつあすかでら)又は十六山安養院(ししざんあんじょういん)といわれ、神社と共に南北朝の初期には大変栄えた。
後村上天皇により「金剛輪寺」の寺号をたまわり、もとは杜本神社と宮寺の関係を保っていたが、南北朝時代には南朝の勅願所となって兵火を受け焼失衰退し、戦国末期の織田信長の河内攻めでも兵火をうけた。
宝暦のころ覚峰(郷土史家)により再建されたが、明治4年廃寺となる。
」