つい先日、2月10日の朝刊を見て驚いた。
平成28年9月の発掘調査で、奈良時代後期の興福寺と東大寺と同じ文様の瓦が見つかり、その後の調査の結果、多くの瓦が集中している場所や一辺約20mの正方形の塔の基壇(きだん)が見つかりました。
瓦のほかにも、寺院を建てるときに、地鎮のために埋められたとみられる和同開珎や萬年通寳、神功開寳などの古銭や塔の頂部に立てられた「相輪」の一部である「伏鉢」らしき直径約90cmとみられる銅製品も見つかりました。
見つかった基壇の大きさ(一辺約20m)は、平城京にある東大寺東塔の24mや大安寺の約21mと同じくらいの大きさで、国家事業として建てたものと考えられます。
これは、『続日本紀』に記載のある「由義寺」ということになります。
また、東大寺や大安寺は、いずれも七重塔と推定されているので、由義寺も同様に七重塔であった可能性が高いらしいです。
見つかった基壇には、心礎石や柱礎石、羽目石などは、失われていましたが、粘質土と砂質土の薄い層を交互に突き固めた「版築」が確認できるそうです。
今回の発見で、「続日本紀」に登場するも”幻の寺”とされてきた由義寺の場所が明らかになり日本史上の重要な発見となったそうな。
前から何か発掘作業をしてるのは知ってたのですが近くまで行って見たのは初めて🔰でした。
どこかの財団法人が基金を募集してこの寺を再現するらしいですが楽しみです。
他もどこかを掘ったらこれ以上の発見があれば凄い⤴️⤴️です。
つい先日、2月10日の朝刊を見て驚いた。
東弓削遺跡でまぼろしだった由義寺に七重塔の基壇跡が発見されたのだ。
称徳天皇と道鏡が急ぎ建設した由義宮(西京)。
その痕跡はほとんど残っていないが、今はっきりとその痕跡が見つかったのだ。
称徳の数度の由義宮行幸、765年から770年にかけて、称徳と道鏡はなんと幸せで、輝きし日々をおくったことだろうか。
今、我々が見る基壇跡、七重塔跡に彼ら二人も佇んでいたのだ。
時間を戻しその場面を思えば、ただ感動するばかりだ。
名前 |
由義寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
ワンコの散歩で通りました。
歴史に思いを馳せながら歩きました。