延喜式神名帳の河内國大縣郡の項に若倭彦命神社と記載...
延喜式神名帳の河内國大縣郡の項に若倭彦命神社と記載のある式内社。
近鉄大阪線の法善寺駅の東、徒歩8分程度の高尾山の麓の街中に鎮座します。
ここから北に数百メートル行ったところに若倭姫神社(式内社)があり、両社は古代、当地を本貫地とする物部氏系の若倭部連が祖神を祀ったものでしょう。
当社は明治の神社合祀で鐸比古鐸比賣神社に合祀されましたが、戦後まもなく現在地に復興しました。
ネットの情報では、大阪府誌(明治時代のもの)によると、比古は北、比賣は南にある、と記載があり、現在とは逆になっている、とあるので、念のため国立国会図書館のデジタルコレクションで確認。
それによると、やはり大阪府誌の記載は誤っているようです。
「若倭比古神社(附、若倭比賣神社)同村大字平野に在り、比古の社は北方に、比賣の社は南方に位し社域共に狭小なり、延喜式内の社にして今は一を春日社、一を白山社と偁せり。
三代實錄。
清和天皇貞観元年八月十三日正六位上若倭彦命、若倭姫命並授従五位下。
」
「業平の道/中河内歴史探訪の道」巻二十二の一の四 柏原市平野若倭彦神社(わかやまとひこじんじゃ)歴史資料館 資料No.4若倭姫神社からは、街中の車の通行も憚れよう細い道を、つづら折り感覚で南下してくると川沿いに大きな慰霊碑が設えられてあります。
そこはちょうど彦神社の背後辺りですから、そのまま真っ直ぐ南へ進むと急に開けて平野町会の山車の倉庫が見えます。
振り向くとそちらには目的の『若倭彦神社』が鎮座おはします。
元あった社は若倭姫神社とともに、遠い昔の明治41年にすぐ近くの鐸比古鐸比売神社(ぬでひこぬでひめじんじゃ)に合祀されましたが、昭和25年に分祀され、再び元の場所で独立祭祀されたとあります。
古い社が戻ってくるというのは、いま、この目前で確かめている秋祭り(12日、13日 台風19号でどうなることでしょう)の賑やかさを鑑みれば、村人たちの気持ちと永年の努力の偉大さが想像できるでしょう。
奈良県や大阪柏原、また和歌山北部ではよくこのようなお話を聞きます。
村人から心底愛された神社であります。
歴史資料館資料によるとNo.5の壷井寺となっておりますが、近鉄線より西側ということで、南に進路をとりまして、鐸比古鐸比売神社に参ります。
御祭神:若倭彦命/建筒草命創建は不明です。
当社より北方に鎮座する若倭姫神社と同様、6世紀頃にこの地で勢力を持っていた若倭部ノ連が、祖神である若倭彦命を祀ったのが当社の始まりです。
当社は式内社で、平野地区の産土神として信仰されています。
拝:2020/07/07
近鉄の法善寺駅から歩いて10分ほどで到着しました。
駐車場はありません。
名前 |
若倭彦神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-972-0016 |
住所 |
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関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai6shibu/kashiwara-city/06045wakayamatohikojinja.html |
評価 |
4.3 |
移動の際、たまたま見かけたので参拝しました。
神社は小さいですが、歴史はかなり古く、綺麗に管理されて居ました。
小さなスペースも有り、駐車することも出来そうでした。