本殿・神門は八坂神社、拝殿は菅原神社。
神武東征で大阪に上陸し長髄彦と戦ったのが、「日下の蓼津」と呼ばれており、この日下神社一帯であったと十分考えられます。
一旦退散した場所が日根野というのも地理的に頷けます。
小ぢんまりとはしていますが、由緒深さを感じました。
石碑も残っており、東征の足取りを偲ぶ場所としてもお参り致しました。
この地を原籍とする日下部氏の祖「彦坐命」を祭神とする延喜式内社 とのこと日部神社・八坂神社・熊野神社・菅原神社が合祀され式内社であった日部神社の社名を残したそうですが、今の鎮座地は元々は八坂神社のもので、本殿・神門は八坂神社、拝殿は菅原神社。
古代この辺りは大鳥郡日部郷(日下部郷とも)だった。
古代この近くまで海岸線がきていた事だろう。
神武東征軍の上陸地は江戸時代から生駒山麓の方が定説だったけど、これに猛反発したのが本居宣長でここだと断定している。
登美のナガスネヒコの登美は地名で近くの北野田付近に登美丘という地名が残っているし満更考えられない話ではないし信じたい。
それと近く黄金塚古墳があり、中央に埋葬されていた人物は女性だった。
その頃大和政権の地と離れたこの地に重要な古墳がありミステリー感を倍増させる。
日部神社(くさべじんじゃ)式内社 村社重要文化財・本殿 桁行三間、梁間正面三間、背面二面、一重、正面切妻造、背面入母屋造、向拝三間、本瓦葺室町前期・石燈籠南北朝 正平24年 1369堺市指定有形文化財・神門江戸前期駐車場無し。
名前 |
日部神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-271-2647 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
こじんまりとした神社ですが、最近はInstagramなどで、人気が上がって居ます。
とても丁寧な対応ですし、神社巡りがお好きな方は、是非行ってみてください。