近くに立派な教会がある。
川口居留地の歴史は明治初年から明治中期までのわずかな間だった。
居留地の模型図を見るとその栄華のときが分かる。
しかしこの川口には致命的な欠陥があった。
大型船が川口まで入ってこれないのだ。
安治川の浅瀬と川幅のためだ。
これでは商売はできない。
で、居留地に住んでいた外人たちは大型船が自由に航行できる神戸に居を移して行く。
当時、川口にあった西洋建築は、最終的に空襲で消滅してしまう。
ここら辺を歩いて居留地跡を探そうにも、川口教会を除いて皆無だ。
教会の前に煉瓦造の建物があるが、これは名残りだろうか。
いまは悲しいかな、居留地の面影は一本の石碑と教会のみ。
他に富島天主堂跡碑があるがあまりにも目立たない。
居留地は歴史の荒波に飲み込まれ、完全に姿を消したようだ。
歴史ある場所とは知らず。
碑がなければ気づかなかった。
近くに立派な教会がある。
なんで、全部壊してこんなに変哲もない街並みにしてしまったんだろうか。
貴重な歴史遺産跡です。
名前 |
川口居留地跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.4 |
外国人(イギリス、アメリカ、ドイツ、オランダ、フランス)居留地だったことがわかるのは、この碑しかありません。
本田(ほんでん)小学校隣にひっそりとあります。