原付でトコトコと1時間半かけて来ました。
クアハウス山小屋でキャンプをして朝食後に散歩がてら訪れました。
他に人はおらずとても神聖な感じで怖いくらいでした。
オミクロン株第6波猛威蔓延中、原付でトコトコと1時間半かけて来ました。
日向学習センター近く林道斜め向かいの橋が山門入口になりハイキングコースになっています。
奥の院岩屋までは約15分位山道(山の斜面)を登り途中、石段や本堂跡や木橋など風情豊か見所ある反面、普段運動不足のオズさんには体力的に息が上がりそれなりの登山道でした。
おまけにココ。
昭和の初め山津波で流されたらしく廃寺の雰囲気ハンパなく至る所に倒木があって熊ちゃん出没注意喚起の看板迄ある次第。
わざわざ来た甲斐ありました。
神奈川県の山奥深くにあるお寺の跡。
険しい崖を登ると、かつて僧たちが修行に明け暮れたという洞窟にたどりつく。
もはや訪れる人もほとんどない静寂の世界。
香華を手向けると、久々に漂う香りに石仏たちも微笑んでいるように見えた。
大山と日向薬師の間にあります。
道路から登山道を10分程度急勾配を登ると奥の岩屋があり、人を寄せ付けない雰囲気を感じました。
ヒルが出なくて人気が少ない冬に来るといいと思います。
日向川を1kmほど降った場所にある寺院「浄発願寺」の元々の所在地。
1938年(昭和13年)の山津波(土砂崩れ)により諸堂が失われた。
林道に入口がある。
すこしのぼると、荘厳な感じの岩屋があります。
天台宗弾誓派本山で、東京上野の東叡山寛永寺の学頭凌雲院(現在は廃寺)の末寺である浄発願寺の本堂・庫裡跡。
浄発願寺は無常山一の沢院と称するが、地元では一の沢と呼ばれている。
昭和13年(1938)山津波で本堂が倒壊したため、ここより約1Km下方に移転建立されている。
旧境内は165,600坪もの広大な寺域を有し、山の境界には塚を一定間隔に築いていたという。
開山は弾誓上人である。
弾誓上人は尾州海部郡の生まれで、諸国を行脚して修行の後、京都古知谷阿弥陀寺にて慶長18年(1613)示寂し、即身仏となったと伝えられる。
本堂跡の左上方約100mに弾誓上人が修行したとされる岩屋があり、中には弾誓上人の石像や尾張藩3代藩主である徳川綱政の正室瑩珠院や佐竹氏、藤堂氏の女子の墓石、また多数の仏像・石塔などが安置されている。
日向川から一の沢橋を渡りすぐ左手の閻魔堂跡の傍らに歴代住職の墓石が見られる。
その中に当山26世の善応空胎惟阿上人の墓石も安置されている。
空胎惟阿上人は天明5年(1785)に埼玉県熊谷市(旧大里郡)で生まれ、神鈴峯(山梨県三ツ峠)の復興に努め、中興開山となった。
文久2年(1862)76歳で没し、墓は当所と三つ峠山目度内と、熊谷市の生家の墓所の3ヶ所に建立されている。
明確に訪れたい意志がある方向けの場所かと思います。
途中の道に倒木などあり、やや荒れています。
行かれる方は気をつけて下さい。
春先ならヒルがいないので安心です。
山津波(土砂崩れ)がって、流されたお寺があったところ。
浄発願寺は、もう少し麓にあります。
自分にとっては、ここは大山登山の帰りにたまに使ったルートに入り口が有ります。
今回初めて、入りました。
お寺跡です。
観光化されてないし、そもそも観光資源としては弱いです。
足に自信がある人、静かな史跡が好きな人は行ってみるいいのでは。
史跡といっても、石塔類の傷ついたものがほとんど。
かつての繁栄に思いをはせたりする想像力とかがないと楽しめないかな。
自分としては、木が岩を跨ぐようにに生えているのが印象に残りました。
日向薬師バス停からは、40分くらいあります。
今回は、七沢公園?の駐車場に停めて、2時間位散策しながら行きました。
駐車場が不明なので、車はお勧めしません。
道も狭いし。
日向ふれあい学習センターの少し下のところから登ります。
旧浄発願寺跡を見ながら登ると岩屋があります。
岩屋より上の梅の木尾根方面へは登山靴が必要と思われます。
あずま屋があって一休みできます。
遺跡見学もできます。
静かなところです。
古いお寺の跡です。
山くずれで流されたそう。
教科書で習った罪人の駆込み寺の跡地です。
観光地化されておらずとても静寂(というより誰一人もいない)、神聖な場所で心が清らかになるはずだったのですがヤマビルが!!出没することは事前にわかっていたので肌を露出させず隙を見せないように小走りで行ったにも関わらす靴の外側に4、5匹(靴の中にいた1匹は自宅まで連れて行ってしまいました)たかっていました。
丹沢周辺で鹿の出没するところには必ずヤマビルがいるので気をつけましょう。
名前 |
浄発願寺奥の院 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
行かない方が良いかも 道も荒れ果てヤマヒルにかなりやられました。