頂上からの眺めは晴れていたため素晴らしかったです。
階段が幅が狭いし、すごく急坂でしたが、頂上からの眺めは晴れていたため素晴らしかったです。
麓から5分程度、丘を登れば到着です。
平坦で開けており、日本の芸能の発祥の地と言われています。
日本における伎楽始まりの地。
豊浦の榎葉井も伎楽始まりの地とされますが、距離的に近いので、どちらの可能性もありそうですね。
桜がきれいです。
ここから三輪山そして耳成山!西には二上山が見えます。
また東には音羽山をみる事ガ出来ます。
広々と良い場所ですが、ちと入口が分かりつらかったです。
土舞台と標示された看板を見つけるまでは住宅街を迷いウロウロしてしまいましたが、看板を見つけてからは直ぐにたどり着けました。
現地にはベンチも有り少し休憩できました。
「磐余・山田の道/万葉の道」巻八の一の十 桜井市大字谷土舞台(土舞台)聖徳太子が当時伝来した「伎楽」を土地の子供たちに伝習させたと伝えられる跡です。
『磐余山』はおおよそこちらの土舞台を含めた桜井町・安倍村にまたがる山をさしているのはほぼ間違いなく、5世紀前半の崇峻天皇以前の皇宮はこの山の中腹から麓に、又はこのイワレの周辺に集中していました。
周囲の眺望もよく、これから多武峰に登る準備運動としてご覧になってはいかがでしょう。
山頂に立って耳を澄ませば、神武天皇の軍勢の足音が聞こえてくるかも知れません。
西の「磐余の道」に戻るために、ここからは『艸墓古墳』経由で進みます。
春は桜がきれい。
日本最初の芸能発祥の地、ボランテァで草刈りなどをしてます。
遺跡ではありません。
丘の上に公園があるイメージで、石碑がある以外は特に見るべきものはありません。
時間が余ったら立ち寄るのも「あり」というレベルかと思います。
石舞台はよく聞く名前ですが「土舞台」は初めて聞く名前です。
芸能発祥の地。
桜井公園の北東側と南側住宅地横に入口があります。
いずれも土舞台へ至る標識がついています。
小山を登っていくと土芝の広場になっています。
『日本書紀』によると、百済人味摩之が呉で学んだ「伎楽」を聖徳太子が少年を集めてこの地で習わせたと伝えられています。
『日本書紀』推古20年(612)に、百済人、味摩之(みまし)が呉で学んだ「伎楽舞(くれのうたまい)」を聖徳太子がご覧になって、この土舞台に少年を集めて習わせた所と伝えられている。
坂を登って行くと木々に囲まれた広場が現れます。
名前 |
土舞台 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
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歴史的には意義ある場所です。
学校の裏側にある広々とした広場となっています。