今度 休みの日に行こうと思てますわぁ。
大変、勉強になりました。
古に想いを馳せる場所。
干上がっている。
周りは新興住宅。
何の情報もなくいけばただの池です。
今度 休みの日に行こうと思てますわぁ。
百済大寺跡(奈良国立文化財研究所は、吉備池廃寺を百済大寺の跡としました) 百済大寺は舒明天皇11年(639)天皇が発願し、日本で最初に天皇が建立した寺。
吉備池廃寺(きびいけはいじ)。
舒明天皇が建立された「百済大寺」と推定されている寺院です。
東西230m、南北280m以上の広大な寺域をもつ古代寺院。
吉備池の南側で行われた発掘調査で大規模な金堂や塔の基壇が確認されたほか、回廊や僧房、付属施設と考えられる建物群が見つかっています。
これにより東に金堂、西に塔を配し、それらを回廊で取り囲む法隆寺式伽藍配置をとることが明らかとなりました。
このような大規模な伽藍から、天皇の発願による最初の寺院であり、舒明11年(639年)に建立が始まった「百済大寺」の後であると考えられている。
吉備池に大津皇子の辞世の句の石碑がある。
(万葉歌碑No32)『ももつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみみてや雲がくりなむ』• 歌の解釈:大津皇子が処刑される時に、磐余の池の堤で涙を流してお作りになった歌訳「磐余の池で、ああ鴨が鳴いた。
じっと見ると、物陰に鴨はいる。
ぽっつりと浮かんで。
これを見納めとして、私は死んでいかねばならぬのか。
貴い天皇の子である私が。
」大津皇子をこよなく愛した同母姉である大伯皇女の石碑もあった。
(万葉歌碑No33)『うつそみの人なるわれや明日よりは二上山をいろせとわが見む』 万葉巻二に、大津皇子の亡骸を、葛城の二上山に移葬し奉った時、大伯皇女の御歌二首と詞書きのある第一首目の歌(165)である。
歌訳「肉体を持ったわたしは明日からは二上山を弟として見ねばならぬのだろうか」この日も池の周りを歩いていると、突然の闖入者に驚いたのか、鴨の群れが3羽、4羽と飛び立っていった。
くしくも1400年前と同じ風景のようだ。
渋すぎるではないか。
この場所は敏達天皇、舒明天皇、皇極天皇 百済大井宮伝承地ではないかとも言われている。
確定はしていないがこの地は記紀万葉時代の中心の地と言ってもよさそうである。
大津皇子の「ももづたふ...」と大伯皇女の「うつそみの...」歌碑があります。
この池は昔からあったものではなさそうですが、ここから二上山を眺めながら、この歌に思いを馳せるのもいいかもしれません。
名前 |
吉備池廃寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
百済大寺跡というので行ってみた。
池の北西の公園脇に駐車させてもらった。
池の土手を上るときにセンダングサの種がコートにびっしりと付き、引っ張って取ったらコートに穴があいて中の綿が出てきた。
池は半ば干上がっており、北側の工場のボイラーのような機械音がうるさくて落ち着かなかった。
とにかく整備されていない。
アクセスもけっこう面倒。
重要な場所だと思うけど。