この仏像は薬師三尊像と呼ばれていました。
御本尊は弥勒菩薩様です。
薬師寺で一番大きなお堂です。
2003年に再建された、薬師寺で最も大きな伽藍です。
堂内には弥勒三尊像(重要文化財)がお祀りされています。
菩薩像がお祀りされています。
2020.02.05訪問薬師寺「大講堂」は、奈良・薬師寺の金堂などがある「白鳳伽藍」の中心部といってもよい位置にある境内最大規模の建築であり、2003年に再建された比較的新しいお堂です。
そのスケールは、正面約41m・奥行約20m・高さは約17mと奈良市内の仏堂建築の中でも有数の規模を誇るばかりか薬師寺の「金堂」よりも大きな存在で「金堂」よりも「講堂」が大きいという古代伽藍らしい様式は、仏教研究(教学)を重んじるお寺としての歴史を反映したものです。
薬師寺様 講堂の御由緒です。
薬師寺散歩天智、天武、持統、文武の時代、飛鳥四大寺は、蘇我氏鎮魂の為の飛鳥寺、国家安泰を祈る大官大寺、天智天皇と天武天皇の母親である斉明天皇の霊を祀る川原寺(引徳寺こうとくじ)、そして天武天皇と持統天皇の愛の結晶である薬師如来を祀る本薬師寺からなっている。
その後、平城京への遷都で最後まで藤原氏の采配の下での遷都を拒んだ唯一の寺であったことから、今でも小さいながら藤原京の地に飛鳥寺としての残っている。
他の3寺は今は、跡形もない。
本薬師寺は小さいながらも華麗な寺として、天武と持統天皇の血を引く者が天皇であり続けるシンボルとして平城京に残る。
天武天皇が創建した大官大寺は渋々と遷都に応じ、名を大安寺として小さく平城京に残る。
川原寺(引福寺こうふくじ)は、藤原氏の氏寺である興福寺(こうふくじ)として、平城京の一等地に広大な広さを持って取って代われている。
まさに、平城京遷都は藤原氏による仏教支配を進めるための戦略が見え隠れして面白い。
新しくなった大講堂の立姿は素晴らしく横長でスッキリ、威風堂々という感じ🙌🙏
コンサートがあったのですが、すごく幻想的で良かったです。
コンサート終了後にお釈迦様観に行って感動しました。
有り難く、西国四十九薬師霊場第1番札所の”薬師如来”と、”弥勒佛”の御朱印を頂きました。
正面41m、奥行41m、高さ17mあり、薬師寺伽藍最大の建築物。
講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、南都仏教が教学を重んじ、講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためだとか。
本尊は彌勒三尊像(白鳳時代・重要文化財)、後堂に仏足石・仏足跡歌碑(天平時代・国宝)が安置。
仏足石の両脇に釈迦十大弟子も祀られている。
こちらの、弥勒三尊像も素晴らしい!仏像好きには、とても良いと思います。
大講堂は弥勒三尊像を御本尊としてお祀りしていますが 、今の大講堂が完成するまで 、この仏像は薬師三尊像と呼ばれていました。
金堂の御本尊比べると、やはりあちらの方が。
創建当初の御本尊は刺繍の阿弥陀三尊だったそうです。
本尊は弥勒菩薩が56億7千万年後に成仏した姿、弥勒如来。
左脇侍は法苑林菩薩(ほうおんりんぼさつ)で、右脇侍は大妙相菩薩(だいみょうそうぼさつ)です。
薬師寺は法相宗の唯識教義を説いた弥勒仏をお祀りするのが本来とのことですが、途中、阿弥陀三尊や薬師三尊など名前を変え、元々の姿も実はよく分かっていないようです。
それはそれとしても素晴らしい仏像には違いないです。
御本尊は弥勒菩薩さまじゃなくて、弥勒如来さま。
未来仏っていう概念がかっこいいです。
脇侍のお名前もなんだか未来っぽいかんじがします。
仏足石歌碑には万葉仮名がきざまれています。
たぶん、暴走族が「夜露死苦」って書くやつの元祖みたいなもの。
奈良時代にきざまれた文字が風化せずにのこされてて、読みとれるのがすごいです。
現在の大講堂は2003年に再建されたモノで 薬師寺の伽藍の中では最大の建造物です 堂内には 本尊の銅造弥勒三尊像(重文)が御安置され 中尊の像高は267cmの大作で 制作時期は不明との事ですさらに堂内には 国宝の753年に作られたと言われる仏足石が展示されており お釈迦様の足跡を刻んだ石との説明があり 興味深く拝見しました また直ぐ近くに 国宝の仏足跡歌碑も展示され 拝観者が説明書を 覗き込むように ご覧になっておられ そちらの方が興味深く 私も順を待ち覗き込みました大講堂は 正面よりも 裏の方の展示が 面白く楽しいでした❗
名前 |
薬師寺大講堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.4 |
平成15年に復興された堂宇で、弥勒如来(釈尊入滅より56億7千万年後の下生のお姿)がお祀りされています。
講堂は僧侶の教学研鑽の為の建物であり、金堂よりも大きく建てられているのは、教学を重んじる南都仏教の伝統との事です。