多田満仲の末裔石黒右京進が出家して真言宗寺院を建て...
椋橋総社の南方にある光國寺(浄土真宗本願寺派、山号は椋橋山(くらはしさん))は、多田満仲の末裔石黒右京進が出家して真言宗寺院を建てたのが始まりと伝えられます。
その後文明5年(1473)頃、右京進は本願寺蓮如に帰依し、浄土真宗に改めたといいます。
慶長15年(161o)には木仏と「妙圓寺」の寺号が下され、正徳2年(1712)に「光國寺」に名を改めました。
戦国時代に焼失し、元禄5年(1692)に庄本村の勘左衛門・庄左衛門が七堂伽藍を再建しました。
境内には忠臣蔵で馴染みの深い赤穂浪士萱野三平の墓があり、三平が所持したという短刀や手槍も所蔵されています。
これは三平の姉が当寺15世住職の元に嫁いだ縁によるものです。
名前 |
光國寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
06-6333-3349 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
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椋橋総社の南方にある光國寺(浄土真宗本願寺派、山号は椋橋山(くらはしさん))は、多田満仲の末裔石黒右京進が出家して真言宗寺院を建てたのが始まりと伝えられます。
その後文明5年(1473)頃、右京進は本願寺蓮如に帰依し、浄土真宗に改めたといいます。
慶長15年(161o)には木仏と「妙圓寺」の寺号が下され、正徳2年(1712)に「光國寺」に名を改めました。
戦国時代に焼失し、元禄5年(1692)に庄本村の勘左衛門・庄左衛門が七堂伽藍を再建しました。
境内には忠臣蔵で馴染みの深い赤穂浪士萱野三平の墓があり、三平が所持したという短刀や手槍も所蔵されています。
これは三平の姉が当寺15世住職の元に嫁いだ縁によるものです。