徳川家康が最初に本陣を置いた場所が「桃配山」になり...
徳川家康の最初の陣地跡です。
質素ですが、歴史が動いた場所なんですね。
⭐️東軍総大将/徳川家康⭐️決戦当日9月15日朝、この地に徳川家康隊/兵30000着陣、北西3㎞に石田三成本陣遠望、関ヶ原の東の端の小高い丘、ここが『桃配山』⚔️その後、戦況逼迫し、戦況好転させるべく前線近くへ進出し東軍全軍を鼓舞、そして勝利へ🐎⭐️672年「壬申の乱」で後の天武天皇、大海人皇子が陣を敷き戦勝した縁起の良い場所、その際に山桃を配って戦いに勝利したのが地名の由来🍑⭐️駐車場…ガソリンスタンド向かい側に数台の無料駐車あり、交通量多く横断注意🚙
家康が最初に陣を構えた場所と思うだけで鳥肌が鮫肌に進化しそうなくらい感動を覚える。
いいですねぇ。
とは言え、天下分け目の元となった場所とは思えないくらい質素な感じなので自治体はもっと上手にPRをしてほしい。
(2021_12_05)
ここから、みる陣後の位置関係とか、想像するとリアル感が出て陣巡りも、さらに楽しいです。
ここからだと関ヶ原の主戦場方面が全く見えませーん! 律令国家で最大の内戦であった壬申の乱で勝利をおさめた天武天皇が、ここで兵士たちに地元名産の桃を配って士気を上げ、大勝利をあげた故事に倣って、縁起を担いで家康はココに最初の本陣を置きました。
しかし実際に来てみると、この位置からでは石田三成が本陣を置いた笹尾山は、手前の高地が邪魔して見ることが出来ません。
それに関ヶ原の戦いの戦端が開かれ、初期の激戦地となった福島正則が担当する北側の戦場は、距離があり過ぎて状況がよく分からないのです。
ましてや戦闘初期においては、先に部隊を展開して有利な位置に陣取る西軍の方が優勢に闘いを進めており、家康はここで非常に焦りイライラしながら推移見守った事は間違いありません。
せっかくですから、ここで「天下人」家康が取り乱す様子を想像すると楽しいかと(笑)。
戦闘は夜明け前から始まりましたが、この状況に家康は耐えられず午前10時頃に約3万の直衛軍と共に、現在「家康最後の陣跡」と呼ばれる関ケ原の最前線に本陣を移動させます。
国道沿いに有ります!反対側に駐車場あり!少し坂を登るとあります!比較的わかりやすい!前にガソリンスタンドがあります!
2020.12.10訪問関ヶ原の戦いの際に、徳川家康が最初に本陣を置いた場所が「桃配山」になります。
現在、桃配山(ももくばりやま)にある「徳川家康最初陣跡」は国史跡に指定、国道21号沿いの階段を登って2分ほどの山腹にあります。
陣跡には、徳川家康が使用したと言われる「腰掛石」と「机石」が現存してます。
「腰掛石」に実際に座って貴方も徳川家康の気持ちに成っては如何でしょうか。
尚、ここから山頂を目指して上って行くと東海道新幹線の線路に当たります。
通過時は音、風圧をかんじられます。
駐車場があるので車で行きました。
国道21号線は交通量が多く、歩道がないのでレンタルサイクルではちょっと怖そうな感じです。
家康は関ケ原合戦早朝に、赤坂から桃配山に兵を移動。
桃配山の中腹に陣を敷きました。
家康の「腰掛石」、「机石」が今も残っているそうです。
見つけるのに時間がかかりました。
歴史あるのでいいですよね 眺めもよし。
駐車場がどこか分かりにくいので要注意🚙
駐車場が国道を挟んで向かい側にあり、不便です。
関ヶ原町民は、三成派が8割以上だそうでそれを象徴するかのように、陣跡の整備もおざなりです。
三成陣跡がボランティアの人がいつもキレイにしてみえるのに対し、こちらは役所の人か、雇われたシルバーさんたちが、草刈りしてみえますが、しょっちゅうではないので、足元がパンプスなんかだと登りにくかったりします。
岐阜方面から来ると、分かりにくいので、隣のガソリンスタンドまで通りすぎたりします。
反対に、米原方面から来ると、中心に入りやすいです。
隣の「桑原モータース」を目印にすると、分かりやすいです。
関ヶ原史跡ウォーキングの際も、8㌔コースはもちろん、1番長い16㌔コースですらこの場所は入っていません。
来たい人は、自力で来い、という事でしょうか😥
慶長五年(1600)9月15日の関ヶ原の戦いで、徳川家康が最初に陣を敷いた場所です。
戦いが進むにつれ、家康は西軍に圧力をかけるため、陣馬野に進出しました。
専用の駐車場あり。
陣跡まで行く時、道路を横切るのでは無く、少し歩いた所の歩道橋を渡って訪問してください。
車通りの多い道の脇にあり、最初場所びっくりしました。
有名な?家康の腰掛石は移動されてしまっており今はありませんでしたが、歴史を感じられる素敵な場所です。
合戦前夜ここに徳川家康公が布陣し、夜明けとともに進軍を開始しました。
壬申の乱の縁起担ぎの故事もありますが、奇襲攻撃を受けにくい高地に陣取るのはさすがに用心深い家康公です。
関ヶ原の合戦場から少し距離がありますが、おすすめのスポットで合戦に参加する軍勢になった気分でぜひ歩いてみてください。
前天下人・豊臣秀吉公没後約2年を経て西暦1600年9月に勃発した関ヶ原の戦いにおける東軍総大将・徳川家康公が当地に着いて最初に本陣を構えた場所。
今はすぐ傍を東海道新幹線列車が轟音を立てて通過する。
歴史好きにも鉄道好きにもなかなかよいスポットだと思う。
笑。
家康が大垣城を無視し、大坂城を攻める構えを見せ野戦に持ち込むため、最初に陣を構えた桃配山。
峰伝いに南宮山には毛利秀元の陣がある。
ここに布陣を構えた段階で三成は気付くべきでした。
昔むかしのことなのじゃ。
”西の方で悪い鬼”がワルサをしていると、噂話聴いた家康爺さん「そうじゃ、ひとつ鬼退治でもやるべェ!」つい先日まで”東北の悪い鬼”退治やろうとしていた事もコロッと忘れ、長い道のりを何日もかけ、ココまでやって来ました。
そして縁🍑起をかつぎ、ココに本陣を置いたそうなのじゃ。はるか向こうの方では喧嘩好きの猿、雉、犬が無邪気に鬼と闘っています。ボンヤリ眺めている家康爺さん…「何かぁ、ココやばくねェ…?」と気付いたのでソソクサと、場所替えをしましたとさ。めでたし、めでたし。
桃配山に家康が構えた最初の陣地跡。
もともとここは壬申の乱のときに大海人皇子がこの地へ出陣した際、土地のものから献上された名産の桃をいたく気に入り、その桃を軍団の兵士全員に配りおおいに士気を上げたことで見事快勝に導いた縁起の良い土地です。
家康はその歴史的な背景も把握した上でここ桃配山に験を担いで関ヶ原合戦の最初の陣地にしたとのこと。
家康がテーブルと椅子代わりに使ったという岩も置いてありました。
目の前が崖になり道路が走っていますが、関ヶ原の昔は道路がなく、崖もなかったそうです。
名前 |
徳川家康最初陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
関ヶ原の戦いの散策ルートに入ってないのが不思議。
是非、来て欲しい場所。
関ヶ原駅まで車で5分。
子連れが何組か見かけた、博士ちゃんには人気の場所かも?