現在は入り口の扉が一応針金で止められているので中に...
現在は入り口の扉が一応針金で止められているので中に入って見ることはできない。
気付かず通り過ぎてしまいそうな小さな井戸。
歴史あるものです。
「鰻井戸」!?ウナギと言うと、夏バテ防止・スタミナ回復の為にウナギを食べる土用の丑の日が有名でありますよね。
そんなウナギに関係する井戸が、横浜の港南区にあります。
県道22号線、通称・笹下釜利谷(ささげかまりや)道路の港南区笹下1丁目横浜刑務所の近くにあります。
ちなみに、横浜刑務所(横浜刑務所職員宿舎)から500メートルほどの位置です。
旧湘南信用金庫港南支店の横。
門扉の奥に「鰻井戸」があるのです。
井戸の手前側には、看板が設置されていて看板には、井戸に関する内容が簡潔に書かれています。
看板によると、鎌倉幕府を治めていた北条越後守平朝臣実時(ほうじょうえちごのかみあそんさねとき)が、1275(健治元)年に病にかかった。
その後も金沢の城で療養していたが一向に快復しない。
そこで家臣が紀伊国那智山の如意輪観音(にょいりんかんのん)に祈念したところ、実時の枕元に観音様が現れて「西北に2里(約7.8km)行った場所に、井戸があるので、その水を飲むと快復する。
井戸には頭の斑紋がある2匹のウナギいて、それが病から救う霊物である」と告げられたそうだ。
そこで井戸の水を取り寄せて飲んだところ、実時は1日1夜で快復したという。
快復後、実時は井戸を訪れるとウナギが泳いでいたので「うなぎの井」と名付けた。
その後「うなぎの井」は諸国に知れ渡り、水を汲みに多くの人が訪れたが、実時が亡くなった後、2匹のウナギもいつとなく消え失せた。
そして、この井戸に関する縁起書(井戸の由来が書かれているもの)は、港南区笹下の三河屋にあった、とのこと。
現在の鰻井戸はブロック塀と門扉で閉ざされているので中へ入れません。
この話は、港南区の民話・北条実時とうなぎの井戸として語り継がれています。
「鰻井戸」!?ウナギと言うと、夏バテ防止・スタミナ回復の為にウナギを食べる土用の丑の日が有名でありますよね。
そんなウナギに関係する井戸が、横浜の港南区にあります。
県道22号線、通称・笹下釜利谷(ささげかまりや)道路の港南区笹下1丁目横浜刑務所の近くにあります。
ちなみに、横浜刑務所(横浜刑務所職員宿舎)から500メートルほどの位置です。
旧湘南信用金庫港南支店の横。
門扉の奥に「鰻井戸」があるのです。
井戸の手前側には、看板が設置されていて看板には、井戸に関する内容が簡潔に書かれています。
看板によると、鎌倉幕府を治めていた北条越後守平朝臣実時(ほうじょうえちごのかみあそんさねとき)が、1275(健治元)年に病にかかった。
その後も金沢の城で療養していたが一向に快復しない。
そこで家臣が紀伊国那智山の如意輪観音(にょいりんかんのん)に祈念したところ、実時の枕元に観音様が現れて「西北に2里(約7.8km)行った場所に、井戸があるので、その水を飲むと快復する。
井戸には頭の斑紋がある2匹のウナギいて、それが病から救う霊物である」と告げられたそうだ。
そこで井戸の水を取り寄せて飲んだところ、実時は1日1夜で快復したという。
快復後、実時は井戸を訪れるとウナギが泳いでいたので「うなぎの井」と名付けた。
その後「うなぎの井」は諸国に知れ渡り、水を汲みに多くの人が訪れたが、実時が亡くなった後、2匹のウナギもいつとなく消え失せた。
そして、この井戸に関する縁起書(井戸の由来が書かれているもの)は、港南区笹下の三河屋にあった、とのこと。
現在の鰻井戸はブロック塀と門扉で閉ざされているので中へ入れません。
この話は、港南区の民話・北条実時とうなぎの井戸として語り継がれています。
鎌倉幕府の重鎮で、武家史上初の私設図書館である金澤文庫を開いた金澤北条実時(ほうじょうさねとき)公の所縁(ゆかり)の伝説の井戸。
北条実時公が病に伏した際に、この井戸に棲む鰻を食べれば病が治るとの御告げを受けた。
使いを派遣すると本当に鰻がいて其(それ)を食した所、治病した事が伝承する。
近くには真言宗の関宮山東樹院が在り目の前が金沢道(現:笹下釜利谷道路)と言う古道で金澤文庫に繋がる。
当時の金沢文庫称名寺が北条実時公の邸宅で有る事。
その金沢から笹下を通る六浦道(むつらみち=金沢道=笹下釜利谷道路)の先の南区堀之内に所在するのが青龍山宝金剛院寶生寺で、鎌倉時代当時に多くの学僧を抱える大寺院の檀林だった。
そして北条実時公が支援した史実が有る。
加えて寶生寺は東樹院の本山だった史実が有る。
その事から鰻井戸と北条実時公の御縁の信憑性は高い。
鎌倉幕府の重鎮で、武家史上初の私設図書館である金澤文庫を開いた金澤北条実時(ほうじょうさねとき)公の所縁(ゆかり)の伝説の井戸。
北条実時公が病に伏した際に、この井戸に棲む鰻を食べれば病が治るとの御告げを受けた。
使いを派遣すると本当に鰻がいて其(それ)を食した所、治病した事が伝承する。
近くには真言宗の関宮山東樹院が在り目の前が金沢道(現:笹下釜利谷道路)と言う古道で金澤文庫に繋がる。
当時の金沢文庫称名寺が北条実時公の邸宅で有る事。
その金沢から笹下を通る六浦道(むつらみち=金沢道=笹下釜利谷道路)の先の南区堀之内に所在するのが青龍山宝金剛院寶生寺で、鎌倉時代当時に多くの学僧を抱える大寺院の檀林だった。
そして北条実時公が支援した史実が有る。
加えて寶生寺は東樹院の本山だった史実が有る。
その事から鰻井戸と北条実時公の御縁の信憑性は高い。
名前 |
鰻井戸 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
045-847-8484 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.4 |
周辺のオススメ
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北条実時にまつわる伝説が残っている井戸。
眼の前の笹下釜利谷道路は金沢文庫駅まで通じているのは感慨深いものである。
鰻を食べるのではなく鰻のいる井戸の水を飲んだ。
というのは面白い話である。
隣の湘南信用金庫の廃墟が遺跡感を増している。