手入れの行き届いた気持ちの休まるお寺で心温まるご住...
長江一族の菩提寺です。
垂井の「長屋氏」も長江一族です。
境内のイチョウの木とお寺の本堂が立派でしたお寺の中も広くて入口に木彫りの不動明王像、福徳円満和尚様がいらっしゃいます。
大きな伽藍で素晴らしいお寺で、見応えが有ります。
数多ある関ヶ原の戦いの史跡からは少々離れていますが、お寺も含めて家康の腰掛け石等々見る価値はあります。
足を伸ばして損はないと思います!
関ヶ原の大寺参道が東海道線のトンネルをくぐった所にありました。
銀杏の紅葉が綺麗でした。
徳川家康の腰掛石が有ります。
とても素晴らしいお寺でした。
紅葉した大銀杏がきれいでした。
ホトカミからの御朱印案内が有りましたので、訪ねてめました。
おくりさんが、親切で、気持ちよく対応してくれまして、御朱印を、もらいました。
西美濃三十三霊場第18番札所です。
大きなお寺でした。
500年以上続く古いお寺。
曹洞宗。
長江氏のお墓がある。
妙應寺(みょうおうじ)は、岐阜県不破郡関ケ原町今須にある曹洞宗の寺院。
山号は青坂山。
岐阜県最古の曹洞宗の寺院であり、江戸時代には伏見宮の祈願所として栄えた。
正平15年(1360年)に大徹宗令が当地に立ち寄った際、今須領主であった長江重景の邸宅に泊まった。
その際に老婆が地獄で呵責されているのを夢に見たため、そのことを長尾重景に話した。
長尾重景は母の妙応が生前年貢を徴収する際と支払いを行う際に大きさの異なる升を用いて民を苦しめていたという話を大徹宗令にして、夢に出てきた老婆が妙応であることが分かった。
その供養を行って長江重景の帰依を受けた大徹宗令は、勧請開祖に師の峨山韶碩を迎え、自らは2世住職となって妙応の名を冠した本寺を創建した。
長江氏は応仁の乱で没落し寺も衰微したが、隠之道顕により再興される。
正平15年(1360)、今須領主長江重景が創建。
県下で最も古い曹洞宗寺院。
宝物館には、町の指定文化財の文書をはじめとして、当地出身の喜田華堂筆の縁起絵巻などが展示。
JR東海道本線の電車からよく臨むことができる。
青坂山 妙應寺東海四十九薬師霊場 第13番札所。
#関ヶ原の戦い #歴史的資料歴史的資料満載。
精進料理もお試しあれ。
関ヶ原町今須に鎮座される歴史的貴重な曹道宗のお寺様。
美しい枯山水庭園や本堂も気持ちよく、月末に坐禅が出来ます。
日時は、連絡して下さい。
境内がとても感じが良く格式が高い本堂の佇まいが荘厳さを感じました。
手入れの行き届いた気持ちの休まるお寺で心温まるご住職の丁寧な応対に感謝しかありません。
来てよかったと✨
曹洞宗の大きな御寺です🍀掃除が、行き届いて居る❗庭も本堂も、凄くキレイですよ🍀
中山道今須宿の中心にあります。
名前 |
妙応寺(妙應寺) |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0584-43-5141 |
住所 |
〒503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町大字今須2591−1 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

妙応寺へは、今須公衆トイレの前に車を停めて、参拝しに行きました。
新幹線のガードや歴史を感じさせるトンネルをくぐり抜けると、妙応寺の門が見えてきます。
道の脇には、緑に囲まれた川も流れています。
歴史を感じさせる門がお出迎えしてくれます。
門からは想像できないほど、境内の中は広いです。
本堂へ向かう参道の左右には、白い石灯籠が幾対も並んでいます。
春日型石灯籠というそうです。
境内の中は、玉砂利が敷かれ、参道から少し離れたところには、蓮の花の噴水のようなものもありました。
1歳の男の子も噴水に興味があり、ずっと眺めていました。
木々も多く植えられており、外の世界とは異なる閑静な空気が流れていました。
境内の中を歩いているだけでも気持ちが落ち着きました。
*妙応寺の歴史 φ(。
)*妙応寺は1360年、当時の今須城の城主であった、長江重景が母親である妙応尼の菩提寺を弔うため、峨山禅師(当時の能登国総持寺、道元の4代後の弟子)を召還し開いたのが始まりとされています。
寺号は母の戒名にちなんでいます。
伝承によると、妙応尼は生前悪行を働いていた為(年貢を徴収する際は、大きな枡:1.3升枡で計り、与える時は小さな枡:0.8升枡で計ったとされる)、成仏出来ずこの世で古い御堂に棲み付き、毎晩のように悪鬼からとがめられていました。
大徹禅師(峨山禅師の法嗣)が巡錫の折、その御堂に泊まり一部始終を見て、長江重景に報告すると、母親の悪行を自らの善行によって打ち消す事を誓い、寺院を創建すると峨山禅師を開山者として招き、大徹禅師は2代目になったと伝えられています。
妙応寺は、領主の菩提寺として庇護され、寺運も隆盛したが、応仁の乱後長江家が没落すると庇護者を失い、一時衰退します。
関ケ原の戦いでは、戦場に近く被害を被る恐れがあったが、脇坂安治、小早川秀秋や徳川家康により制札で保護を受けていました。
そのため、大きな被害を受けずに、現在まで存続しています。
妙応寺の寺の由来は、人の名前だったということが分かりました。
今も昔も悪行をしないように気を付けなくてはいけませんね。
駐車場:ありトイレ:ありバリアフリー:なし。