春先には桜が綺麗に咲きます。
忘れ去られたような記念碑でした。
訪れた時、誰もいませんでした。
人柱は橋の中心の下(南から3本目)辺りに埋められたそうです。
建て替え時に当時の遺品も出てきたらしいです。
源助さんの物かは確証ないそうです。
松江の昔話です。
源助さんのお陰です。
10年は昔だろうか。
わたしの親戚のおじさんが(見たことない人だけど)30も半ばだったころ、建設中の自宅の屋根から転落し、死亡したということがあった。
まだ若いし、子どもも生まれたばかり、奥さんを残し、新築の家を作る最中、人生はまさにこれから……その折ににまさかの転落死……。
なんと痛ましく悲しい話だろうかと思いきや、そうはならなかった。
その死は「非常にめでたい死である」となった、解釈された。
なぜか。
「彼はこれから家に降りかかる災厄を全て一身に背負い死んだためである」そのように決まったらしい。
その葬式は、急に土砂降りになったかと思いきやウソのように晴れ渡る天候が「まるで彼の無念を表しているかのようだ」と噂されたものだったが、その思いとは全く違うところで解釈の力が働いていた。
だからと言って空からいきなりお金が降ってきたりするわけではないのだが。
遺された人間は、遺された人間でしかない。
人柱信仰なんて過去の遺物……そう思うのは至極当然。
だがその至極当然の世界にひょっこりと姿を表すのは、こうした人柱信仰の名残、あるいは別の形をとった人柱信仰そのものなのではないか。
つまり、我々の生きているこの文化は未だに人柱信仰から完全に脱却できていない、中世の雰囲気や習俗から脱却しきれていない、むしろかなり地続きであるのではないだろうかとわたしは言いたい。
……から書いてみた文章であるよ笑。
江戸時代の風情があって雰囲気いいです。
春先には桜が綺麗に咲きます。
流し灯篭もまじかで見ることが出来ます。
人から聞いた話のイメージ… 橋作る→人柱がいる→丁度いい具合に源助酔っぱらってやってくる→もっと飲め飲め→ボコッ→ありがとう源助。
春先には綺麗な桜で目を和ませてくれます。
毎年どこかのグループがこの下で夜桜を楽しんでおられますよ。
かつて人柱がまだ信じられていた時代、人柱となった人がいた。
彼は確かに人柱となった、しかしそれは神となることを果たして意味したのだろうか。
彼は死ぬ直前何を思ったのだろう。
それによってより良くなる故郷、愛する人々、はたまた単なる義務感。
現代の認識でみたら何一つわからない、だが、確実に彼の生き方は我々の中に、どこかに根付いている。
民俗学を志したならば、避けては通れない場所、そんな場所の1つだと思う。
名前 |
源助柱記念碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.5 |
源助柱近くからの大橋と大橋川の眺めです。