京の戦火から逃れるために身を寄せた場所。
拝観料を払うととても丁寧に中を案内してくれて歴史など詳しく説明してくれました織田信長の話も興味深かったですフラッシュをたかなければ写真も撮っていいですよといってくださいましたちょうど紅葉の時にいけたのでお庭も美しく感動しました。
大変ありがたい(^人^)宇多天皇・細川家・朽木家を筆頭に足利将軍や楠木正成、織田信長など歴史の宝庫です。
🔴戦国時代大河ドラマ『麒麟がくる』で、向井理さんが演じた足利義輝(13代の剣豪将軍)が、京から逃れてここで5年半も過ごし、涙する雪のシーンがこちらのお寺です。
(12代将軍の足利義晴も、京が荒れてて朽木にいました。
)また、織田信長の金ヶ崎の退き口で、ここ朽木の谷(今で言う鯖街道)を南へ逃げました。
その時に、ここ興聖寺でひと休みした、と言うことで、行って見たかった場所です。
拝観料300円で、お寺さんに詳しく教えて頂きました🍀空でスラスラと驚きべき情報量です。
また、お寺の大事な宝物も拝見させて頂きました。
戦国時代よりもっと昔のお話でした。
とても、古い由緒あるお寺で恐縮します。
元総理の細川さん(細川藤孝の子孫)や皇族が来られたと言う写真もありました。
印象に残っている話は、信長が比叡山焼き討ちの時に、ここのお寺だけは絶対に火を付けるな‼️と命令したそうです。
金ヶ崎の退き口で、信長が絶体絶命のピンチの時に助けてもらったからだそうです。
それと、ここの朽木氏は、江戸時代に福知山藩主になってます。
🔴足利庭園は修復中です。
池の周りの石が、崩れずにとどまるのは、近くの牡丹の木の根っこが張っているからと言う説明でした。
もう400年も前の庭園が残っているのは奇跡ですね。
足利庭園は牡丹の咲く時期に、見学するのが良さそうです🌺
司馬遼太郎先生の街道をゆくの第一回に登場した朽木谷にある名刹です。
この冬の雪で本堂の前にある桜の枝が折れていたのが痛々しかったです。
椿にはまだまだ早すぎました。
河内の千早赤阪城から、楠木正成の持念仏だった不動明王が兵火から救い捧持されています。
そんな由緒をとても丁寧にご案内して下さいました。
堅田から鯖街道を抜け朽木へ。
先ず向かったのが高巌山興聖寺(^^)。
あの足利将軍、義晴と義輝が滞在した名刹😲。
義晴は三好松永の乱を避けこ、義輝は京都の乱世を避けこの地に滞在。
その時に作庭した足利庭園が国名勝指定となっており、足利庭園の藪椿も継承認定に認定~😲。
そして、、曹洞宗開祖道元が越後に向かわれる際に建立を勧められたとのことで1240年に七堂伽藍が完成。
曹洞宗として2番目めに古い寺院であることも分かりまたビックリ~😲。
更に、佐々木信綱の曾孫義綱が名字を朽木に変え、関ヶ原で裏切った朽木元綱もこの家系だと分かりまたまたビックリ~😲。
話は変わり、本堂内で定朝様の御本尊釈迦如来座像、楠木正成念持仏である縛り不動明王と、素晴らしい仏像も堪能~(^^)。
少し色づいた紅葉🍁も綺麗😊。
紅葉がとても素晴らしいです。
拝観料を払って、お寺の方に説明していただきました。
室町時代後期から戦国時代頃のお話と、道元禅師のお話をしていただきました。
わかりやすくて、隠れたエピソードもあり、面白かったです。
お花のお寺としても有名なので、春の頃にも伺いたいです。
興聖寺は曹洞宗(本山永平寺)のお寺です。
この朽木の庄を治めていた朽木氏の旦那寺で、前にある安曇川の反対側にあった興聖寺が秀隣寺が近くの丘に移転した後地に移ってきています。
本尊は釈迦如来坐像ですが、一条天皇の皇子が10代の若さで亡くなったので、釈迦如来の顔を皇子の顔に作られていると住職は言われてました。
朽木氏は近江源氏佐々木氏の分流の高嶋氏の有力庶家でありました。
朽木氏は最後までこの朽木に移転させられることなく、同じ朽木に滞在していて、大変珍しいとされています。
これは、大名家ではない、天皇家や足利幕府の避難所としての位置などの好条件により、同じ場所からうごかされることはなかったと言われています。
なので朽木氏の子孫が今もこの地に住われています。
戦国時代には、興聖寺の以前からあった秀隣寺のこの場所で、京都は幾度も戦乱に見舞われた為に、戦乱を避けるために室町幕府12代将軍足利義晴と13代足利義輝は、8年間朽木に滞在しています。
朽木幕府といわれています。
その時に作られたのが旧秀隣寺庭園(足利庭園)です。
銀閣寺の庭園を基につくられています。
室町時代の庭園がのこっているのは珍しく、福井の一乗谷朝倉氏遺跡や、米原の上平寺城の庭園、とここの足利庭園です。
また当時の布積みの野面積み石垣も残っています。
足利幕府はなぜこの地、朽木に避難先を選んだかは、朽木氏は足利幕府の奉公衆であった点、いざと言う時、味方する勢力のいる福井や山陰へ抜けることができる地点として選んだといわれています。
アクセスはJR安曇川駅から江若バス35分、終点朽木学校前下車し、京都方面へ歩いて15分にあります。
静かなお寺です。
庭園が素晴らしく椿が綺麗でした。
癒されます。
お寺の境内に旧秀隣寺庭園(別名:足利庭園)があります。
国の名勝指定を受けている庭園。
室町時代の第12代将軍足利義晴、そして第13代義輝が、朽木氏を頼って数年間滞在した居館の庭園。
(NHK大河ドラマの『麒麟が来る』でシーン有りましたね)関西花の寺第十四番霊場で『老椿(藪椿)』が有名です。
庭園の前にある大きなヤブツバキで、樹齢は約500年なんだそうです。
現在、庭の修復・発掘作業中で池の水はありませんでした。
お参りは建物内に入って、ご本尊様に目の前で拝むことができます。
★縛り不動明王坐像朽木時経が千早城攻略の際、楠木正成の念持仏である不動明王が兵火にあわんとするを捧持し帰館(要するに、無断で持ち帰ったんですけど💧)鎮守として鎮座していらっしゃいました。
お寺に侵入した盗賊を金縛りにして追い払ったことがあり『縛り不動明王』と呼ばれているそうです。
関西花の寺です。
室町時代には足利の将軍が避難してたそうな。
庭園は工事中でしたが、紅葉がキレイでした。
穴場スポットとしてオススメかも。
紅葉が見事でした…鎌倉時代近江の守護佐々木家の菩提寺として建立された曹洞宗の寺院。
室町時代後期に12代将軍義晴13代将軍義輝が滞在した別棟があり、銀閣寺の庭園をもとに旧秀隣寺庭園(足利庭園)が作庭された。
細川忠興はこの地で誕生した事から細川家との繋がりも深く現在に至っているそうです…
岩瀬集落の山際に位置するここには、旧秀隣寺庭園があり、休みの日には絶え間なく観覧の方々が訪れます。
どんな季節でも美しい庭です。
ゆっくりと過ごせます。
ご丁寧に解説してくださってありがとうございました。
歴史秘話ヒストリア楽しみにしています。
大河ドラマ「麒麟がくる」のゆかりのお寺です。
足利将軍が一時身を寄せた場所で、朽木の名刹です。
曹洞宗の花のお寺として有名です。
少し 道路から離れているため 静かで良い雰囲気です。
大河ドラマ「麒麟がくる」で、第13代将軍足利義輝が、京の戦火から逃れるために身を寄せた場所。
将軍が身を寄せていたということもあり、傷心の将軍の心を癒していた庭園がとても魅力的。
ひなびた場所にあるので静かだろうし、また関西花の寺二十五霊場の一つなので、花に心癒されゆったりとした時間を堪能しに、いつかは行きたい。
(19/04/17)関西花の寺霊場 第14番、興聖寺の御朱印「釈迦如来」御朱印をいただきました。
藪椿は少し早かったですが、枝垂桜は満開でした。
曹洞宗の寺院。
本堂:釈迦如来国指定名勝:旧秀隣寺庭園拝観料:300円参拝者用無料駐車場があります。
興聖寺は、道元禅師が越前下向のおり、朽木領主の佐々木信綱に建立を勧めたことから興りました。
お庭が旧秀隣寺とされているのは、興聖寺がなんどかの火災と移転を重ねた後、この地に落ち着いたことによります。
本堂に上がると、内陣まで案内して頂き、若々しく優しい面差しの釈迦如来坐像、道元禅師坐像、楠正成念持仏とされる不動明王像などを間近に拝観することができ感動しました。
お庭は借景の比良山脈の雄大さと石組みのささやかさが印象的で、季節ごとに訪れてみたい気持ちになりました。
ご住職とのお話も楽しく、中でも宝慶寺開山・寂円禅師のお名前が出た時は何ともうれしく思いました。
何度も通いそうなお寺です。
司馬遼太郎氏の、特に晩年の代表作となった「街道をゆく」の最初の作品「湖西のみち」に登場した朽木の名刹。
「関西花の寺霊場」のひとつであり、藪椿がその「花」ではあるが、観光客を積極的に誘致するようなところはほとんどなく、静かにその歴史を守り訪れる人々をやさしく受け止めてくれるお寺。
かつてここには戦乱を逃れて室町幕府の12代将軍足利義晴が滞在した岩神館があり、みやこを離れて無聊をかこつ将軍のために当時の風流人である管領細川高国が作庭したとされている。
その後、この地に朽木氏の菩提寺、秀隣寺が建立されたためにこの庭は旧秀隣寺庭園と呼ばれるようになった。
秀隣寺はその後に移転、興聖寺がこちらに来たのはその後になる。
つまり興聖寺についてよく言われる「道元禅師が越前永平寺に下向される途上で伏見深草の興聖寺にあまりに風景が似ているので、同じ興聖寺と名付けた」のは別の場所、ということ。
ちなみにネットでは「宇治の興聖寺のある場所に風景が似て」と書いているところがありますが、あれは明確に間違い。
道元禅師が建立した興聖寺は伏見深草にあり、その後に廃絶。
いま宇治にある興聖寺は江戸時代になってから淀城主の永井尚政により再建されたもの。
駐車場はかなり広い。
安曇川右岸の国道を北上すると左手に看板が見え駐車場の存在が確認できる。
そこから階段を登ると、安曇川が形成した河岸段丘の縁に緑に包まれた美しいお寺が現れる。
お寺のささやかな山門前には、この村の出身で国のために戦い斃れた兵士のお墓が並び、静かに故郷を見つめて鎮まっているのが見られる。
門を入ると左手に「旧秀隣寺庭園」。
京都などの有名観光寺院のような整備されつくした庭とは違い、自然と一体化したような美しさ。
人の手、技巧が歴史を経て自然に溶け込んでしまったような。
本堂の右手の受付で拝観を申し出ると、住職さんの奥さんが堂内を案内して下さる。
本尊の釈迦如来坐像、霊牌堂にお祀りされている不動明王像が名品。
いつまでも見飽きない、何度でも訪れたくなる。
綺麗、静かなお寺!心が癒されました。
かつて朽木氏の檀那寺で、近江曹洞宗の巨刹。
本尊の釈迦如来坐像は国の重文。
境内の庭園跡は12代将軍足利義晴のために造園されたとされる。
国の名勝。
滋賀県高島市の朽木の名刹朽木藩歴代藩主朽木家菩提寺近江守護の佐々木信綱により1243年建立。
曾孫美綱の代に朽木氏に改性し鎌倉時代から江戸幕府終焉の廃藩置県まで領主を務めた。
敷地内の旧秀隣寺庭園跡は現在、庭園としては一部の遺構を残すのみであるが足利幕府十三代将軍の足利義輝と側近の細川藤孝は当地を延べ6年半居館とし、足利義輝の父である十二代将軍足利義晴や幕府管領の細川晴元も晩年間際当地で約1年過ごした🅿︎有。
今となっては小さいお寺で、名高いお庭も案外質朴なものでした。
しかし訪れる人も少ない庭で比良を借景にした石庭を眺めていると、ここに逃れた足利義晴や彼のために石庭を作った細川高国など戦国の人たちの思いがしのばれる気がします。
名前 |
興聖寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0740-38-2103 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
こんな山奥に紅葉のステキなお寺があるとは知りませんでした。
室町時代の足利将軍のお庭もあります。
真っ赤に染まった紅葉と黄色いイチョウが素晴らしい。