強者どもの夢の跡。
ここで源平合戦があったとは興味深い。
いまでは田舎の住宅地の一角。
道に石版が埋め込まれているので迷わずに源平合戦の史跡をたどれる。
1183年 平家は六万寺を 安徳天皇の仮御所とし コノ場所に門を構え 源氏の海上からの防御に備え造られて 総門はソノ遺跡との事ですなお 当時コノ辺りは海で 『源平合戦総門碑』と文字が刻まれた 大きな石碑は 明治になってから 立てられたモノとの事ですその様に 説明板には記されでましたが 総門跡に関しては あまりイメージが出来ませんでした⁉ ただ コノ地も 源平合戦の激しい戦いの場となり 平家が退く状況が繰り返され ドンドンと追いやられる様は 多少想像が出来ました❗
名前 |
総門跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
寿永二年九月源平合戦一の谷の戦いで敗れた平氏は安徳天皇を奉じて讃岐牟礼で軍勢を立て直すため上陸します。
この辺りに有りました六万寺を安徳天皇の行在所と致しました。
(屋島壇の浦の行宮が出来るまでの仮御所)そして行在所を守るため海辺の守る防御線(柵等)を造り総門を構えました。
(当時の六万寺は広大な寺領を有し勢力を誇っていたようです。
)後に屋島壇の浦に行宮を移してからも、この柵や総門は南側の防御線にしましたが源氏方に破られ占領されてしまいます。
当時この辺りが海岸線だったようです。
六万寺は天正十一年に土佐の長曽我部元親軍の八栗城攻めの時に伽藍は消失してしまいます。
現在あります標木は江戸時代初期の初代高松藩主松平頼重公の建てたものです。
敷地内には石碑や句碑が建てられています。